昨日の続きで、鮎川哲也『こんな探偵小説が読みたい』に見える、阿知波五郎「墓」をアンソロジーに収録するのを断念した一件について、見て置きましょう。404頁5〜8行め、
この「墓」(楢木重太郎名義)という短編を(氏の創作はすべてが短編なのだが)、わたしは双葉社/刊のアンソロジー『怪奇探偵小説集』に採りたいと考えたことがある。すでに阿知波氏は亡くなって/いた。その話が持ち込まれたとき、わたしは若い読者に阿知波氏を紹介しようと考えて、「墓」を採/ろうとしたわけだ。
「その話が持ち込まれたとき」には「すでに阿知波氏は亡くなっていた」とありますが、双葉新書『怪奇探偵小説集』が刊行されたのは昭和51年(1976)で、阿知波氏の生前のことです。
- 作者: 鮎川哲也
- 出版社/メーカー: 双葉社
- 発売日: 1984/07
- メディア: 文庫
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続く、収録を断念した理由を述べた箇所を見て置きましょう。404頁9〜12行め、
雑誌掲載時はかるく読みながすのが常だが、いざアンソロジーに採用しようという場合は熟読する。/その結果わたしはストーリーに矛盾する個所のあることを発見した。このまま採用したのでは作者に/恥をかかせることにもなる。が、阿知波氏はすでに亡くなっていて、加筆訂正を要請するわけにはい/かない。とどのつまり、採用は諦めるほかなかった。
前回『幻の探偵作家を求めて』から引用した、探偵小説専門誌「幻影城」の島崎編集長が「幻の探偵作家を求めて」尋訪を阿知波氏に断られた件に『こんな探偵小説が読みたい』では触れていません。記憶に混乱があるように思われるのですが、これも今となっては鮎川氏に確かめることが出来ません。
それはともかく、続く鮎川氏の対処法も参考までに抜いて置きましょう。404頁13行め〜405頁4行め、
こうした例は阿知波氏ひとりではない。別の本格物のアンソロジーを編もうとした際に、A氏とB/氏の短編に、作者の思い違いもしくは不注意によって生じた矛盾点を発見したことがあった。本格物/であるから、論理に誤りがあるともう致命的だ。阿知波氏のケースとは違ってA氏もB氏も健在だっ/たので、直ちに両氏に連絡をとった。A氏の場合は相互に知恵を出し合ってよい結果を生んだのだけ/れど、B氏の場合はわたしの手に負えないほどのもので、B氏自身もお手上げの状態だった。しかも/この短編はB氏にとって代表作とされていたものなのである。そしてB氏は、一年か二年のちに予期【404】せぬ病気で亡くなった。
今にして思えばわたしはきびし過ぎたのかもしれない。阿知波氏の作品もB氏の作品もアンソロジ/ーに採って、解説のなかでそのことに触れ、ミスを読者が探すことを宿題にすれば、興趣はいや増す/に違いないのである。
ここは、出来れば実名にして欲しかったところです。阿知波氏とは無関係、かつケチを附けるような按配なので名前を伏せたのでしょうけれども、A氏の場合、そのアンソロジーに収録されたヴァージョンが新たに決定稿になった訳ですから、そのことをアナウンスする必要があるでしょう。尤も、そのアンソロジーの「解説」にそう書いてあれば、ここに敢えて名前を出す必要は、確かに、ないかも知れません。しかしB氏のような場合も、気付いた以上、そのことを何らかの形で提示して置くべきだったと思うのです。そのまま埋もれさせれば矛盾点は問題になりません。しかし、それが良い対処法とは思えないのです。現在『論創ミステリ叢書』にて鮎川氏が「幻の探偵作家を求めて」に取り上げた探偵作家の作品が相当数復刊されています。鮎川氏が矛盾点をあからさまにして「恥をかかせること」を回避した作家・作品も、それと気付かれないまま「採用」されているかも知れません。『論創ミステリ叢書』がなかったとしても、愛好家・研究者で鮎川氏の配慮を知らぬまま、読んでも気付かぬままにB氏の作品を人目に触れる状態に持っていこうとする人が出ないとは限りません。やはり気付いた時点で(控え目にもせよ)どこかに提示して置くべきだったと思うのです。
405頁5〜7行め、
あれから十年ちかい歳月が過ぎた。いまそのミスが何であるか指摘せよと迫られても、詳細を忘れ/てしまったわたしには答えようがないだろうし、再読してそのミスを発見するだけの根気も残されて/いないのではないかという気がする(なお、単行本化に際し、あらためて「墓」を収録することにした)。
「十年ちかい」は「十年余り」だろうと思うのですが「そのミス」は、実はかなり単純な誤りで、その対処も案外難しくないように思うのですが、詳細は追って述べることにします*1。それから「単行本化に際し」の注記には「初出誌には「幻想肢」を収録していたが」と断って欲しいところです。
さて、この「墓」は、10月4日付(1)に見たように、『宝石』二十万円懸賞短篇コンクール(第5回宝石賞)の選外佳作になっていますが、選者は矛盾には気付かなかったのでしょう(気付いていれば訂正を求めたでしょうから)。矛盾点をうっかり読み飛ばしてしまわせるような力が、この「墓」にはあります。そして、そんな「矛盾する個所」に気付きながら鮎川氏が「単行本化に際し」て(本当に「ミスが何であるか」忘れていたのかも知れませんが)差し替えたように、何か読む者に迫って来るものを持っている、まさに「奇篇」と云うべき作品なのです。(以下続稿)