瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

阿知波五郎「墓」(27)

 さて、当ブログは、飽くまでも確認作業ノートで、普通なら公開しないところまで示して置こうと云う意図でやっておりますので、非常に読みづらく、脇道にも逸れますし(しかしその場で書いて置かないと忘れてしまう)過去記事に書いたことを忘れて繰り返すようなこともあるかも知れません。当方としては、要点を纏めた記事も準備したいと思っておるのですが、そこまでやっては余りに気前が良すぎるような気がして、敢えて手を着けておりません。
 或いは、何かの調べで当ブログに逢着して、当ブログの記事を参考にして、何処かに売り物にする文章を書く人がいるかも知れませんが、その場合、典拠を明示してもらいたいのと、どうせなら、私に書かせて欲しいと思っております。当ブログを始める前ですが、ある小説について、これまで曖昧にされてきた設定を確認する文章を書いて、同人誌に発表し、その筋の専門家に送ったこともあるのですが、基本的なことも知らずにやっているのか、との冷笑(こちらからするとそのまま投げ返してやりたい気分でしたが。あなたたちが好い加減にしているから門外漢の私が確認作業を行って確定案を出したのに、まともに読みもしないで、妙なことを言って来た奴がいる、と云う扱い)か*1、或いは、丁寧な返信をもらって数年後、生誕×××年とかで記念の本が出たのですが、その本に、礼状をくれた人が私が問題にしたのと同じ小説について、私の指摘を援用して執筆時期を推定していたのですが、わざと私の指摘とは12年ずらして論を立てていて、ところがその直後に、その作家に日記が発見されて、その、12年後と云う設定は成り立たない(すなわち私の最初に立てた説のままで良かった)ことが明らかにされたのでした。――これを読んだとき、どうして素直に人の云うことを聞かずに、少し違えてオリジナルのようにしたがるのか、と思ったものでした。私の指摘については一般向け書籍でしたので(そのまま援用してない訳ですし)詳細は省略するが、と云うことで、私の名前も(当然のことながら)挙がっていませんでした。何とももやもやとした、後味の悪さだけが残りました。その後、その人がやはり私の指摘が正しかった、と云うフォローをしてくれたかどうか、分かりません。
 ですから、当ブログではプロフィール欄その他で、既に度々申しておるのですが、中途半端に当ブログを参照して同じ趣旨の文章を準備されるのであれば、折角なら私に書かせて欲しいのです。――これまで依頼は皆無です(苦笑)。このような態度は嫌がられるかも知れません(笑)。しかし、やはり同趣旨、もしくは同趣旨にならないようわざと変なところを変えたりズラしたりしたものを、別に発表されるのは、何ともやり切れないと思うのです。

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 さて、ここで再読の切っ掛けとなった、頭木弘樹 @kafka_kashiragi の2014年7月30日20:29 の tweet 及び、ちくま文庫『絶望図書館――立ち直れそうもないとき、心に寄り添ってくれる12の物語の編者・頭木弘樹が「[閉鎖書庫 番外編]」として、記憶に基づいて「入れられなかった幻の絶望短編」と題して書いた、阿知波五郎「墓」の粗筋について、簡単に纏めて置きましょう。
 tweet の最初、呼び掛けの部分は6月8日付(12)に抜いて置きました。今回は残り、本作の粗筋を纏めたところを抜いて置きましょう。 

‥‥ある女性が図書館(?)に閉じ籠もって、自ら餓死しようとします。恋のためで、好きな男性が最初に死体を見つけるはずなのです。でも、実際の飢餓は予想以上に苦しく、激しく後悔します。でも、出られません。


 これは、6月9日付(13)6月12日付(14)6月14日付(16)に引用した、『絶望図書館』の梗概【A】~【J】のうち、前半は主として【B】に重なります。後半は【F】~【H】に重なります。
 少々異なるのは最後の「でも、出られません」です。――私が本作が源流かも知れないと思っている怪異談「閉じ込められた女子学生」では、2016年9月27日付「「ヒカルさん」の絵(06)」や、2016年10月1日付「閉じ込められた女子学生(1)」等、死体発見時に、何とか脱出しようとした跡が見付かることになっているのですが、この書き方ですとそのような努力があったかのような印象を受けます。しかしながら、『絶望図書館』には脱出の努力について述べたところがなく、実際、本作でも6月19日付(21)に見たように、せいぜい2回ほど、鉄扉のところまで行って声を上げ、叩いて見たりしただけで、爪が剥がれるほど扉や壁を叩いたり引っ掻いたりと云ったことはしておりません。そこでやはり、この書庫は何によって建てられているのか、気になってしまうのですけれども。
 しかし、これとても大きな違いではありません。【A】愛情を上回る【G】飢えの苦しみ、と云う基本的な構図は、6月22日付(24)に確認した『絶望図書館』の梗概に同じです。そして、主人公の人物像に厚みを与えている要素――動機が男性の裏切りに対する復讐であったこと、そして主人公が戦後の混乱期に戦災浮浪児を引き受ける保育園の保母として、正義感で解決させようとしたことが思わぬ事態を招き、挫折を味わっていたことなどが抜け落ちていることに気付かされます。頭木氏の記憶する梗概は、忘却によってかなり単純化されており、さらにその単純化された要素を組み直して合理化されていることが分かります*2
 頭木氏の梗概では【B】【C】「強い愛情」に代わって【H】「飢えの苦しみ、叫びがノートに記されてい」くことになっておるのですが、本作の遺書は最初から最後まで「強い愛情」が主で「飢え」は従です。復讐のための遺書なのですから【B】「心を打たれる」【C】「感動する」対象は「男性」ではなく世間の人々なのです。そして、かなり大事なところを忘れていたとは云え、多くの作品に通じている頭木氏に特に印象に残る作品として語らせたところに、――主人公が企図した通りに、主人公の遺書は世人の胸を打って、渋谷に亡き恋人との想い出に生きるよう強制させることに成功した(もちろん渋谷には別の意味での制約も掛かったはずですが)と推察させるに十分です。しま、以て瞑すべし――架空の人物ですけれど。
 本作が、読者の心を揺さぶる力が持っていること――初め懸賞の候補作として雑誌に掲載され、そして中島河太郎鮎川哲也に復刊を企図させ、そして主人公の純粋な動機のみを止めた、偏ったものであったにせよ、こうした非常に印象に残る形での梗概の紹介にまで、繋がっていると思うのです。
 但し、やはり鮎川氏が気付い(て忘れてしまっ)たように、本作は欠陥作です。6月16日付(18)に見た、上高地へ行く約束をしたのかしないのか、6月22日付(24)の最後に見た、日を数えていたのかいないのか、と云った点も気になりますが、やはりなんと言っても、2016年11月1日付(08)に指摘した、閉じ込められる前日に、服毒自殺するつもりで劇薬を持ち出していた、と云う記述が最大の難点です。殆どが地の文ですから主人公の錯乱では済まされません。
 ただ、私は初読の際に、結論として2016年11月2日付(09)に述べたように、当初アンソロジーに掲載しないことにした鮎川氏の判断を支持しましたが、今回再読して見て、きちんと欠陥を指摘した上で文庫本に収録するのも悪くないのではないか、と思うようになりました。頭木氏が本作を読んで、どのように判断されるか、興味のあるところです。

*1:その後、その教授の著作集が出たとき、私も参照した論文(と云うか紹介記事)が再録されていたのですが、初出紙に比較して驚く程簡略になっておりまして、或いは、当方の言い分を認めてこんなことをしたのかと思ったのですが、どうだか分かりません。――この小説については当ブログでも遠からず取り上げたいと思ってはいるのですけれども。

*2:それにしても、2016年10月5日付(02)に引用した『こんな探偵小説が読みたい』カバー表紙折返しの紹介文は奇怪です。まともに読まずに書いてしまったとしか思えない。そしてこれが通ってしまったことが、作品よりも恐ろしいような気がして来るのです。