瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

男の甲斐性

 昨日は11月10日付「今野圓輔『幽霊のはなし』(3)」の続きを投稿するつもりだったのだが途中でフリーズして止むなく消去した。そこで以前書きかけていた草稿の整っていないところを削除して投稿して置いた。――別に関係者ではありません。近頃私はトランプ大統領への期待を口にして顰蹙を買っているのだけれども、別にトランプ氏支持ではありません。だってクリントン氏よりもわくわくするじゃない、いろいろな意味で。マスコミが決定打だと云っていた女性蔑視発言だって、今のように厳しくなったのはせいぜいここ20年くらいなのではないのか。あれで「クリントンで決まりです」と評論家やコメンテーターたちがトランプ氏に引導を渡したのに支持率が大して下がらなかったのを見て、ひょっとしてトランプ氏来るか? と漸くわくわくし出したくらいだから私も予言者面は出来ないが。まぁ所詮他国の話だし。それでも誰かと問われれば社会的弱者(?)である私はもちろんサンダース氏支持で、クリントン氏はTPP反対を言い出したり、バーニーも「言ってることがなんだか似てきたね」と批判していたが、そういうのを見ていてどうも信用出来ないように思ったのだ。その点トランプ氏の方が分かりやすくて面白い。我が国の首相も「この道しかない」ことを一向にきちんと説明してくれないので私には信用出来ない。条理を尽くしてどうしても「この道しかない」理由を説明してくれさえすれば、支持するに吝かではないのだけれども*1。大統領選の選挙制度を問題にしている人もいるが、我が国の小選挙区制だって総取りだから*2、だから公明党がくっついた方が勝っちゃうんじゃないか。小選挙区制に決まったときも選挙制度改革=政治改革、と決め付けた議論を当時父が毎週見ていた「サンデープロジェクト」等で見せられて、一向に訳が分からなかった。結果、党の方針に全く異論を挿めない議員を1人ずつしか選べないような制度になってしまった。どこが改革だよ。今の野党第一党の幹事長が首相時代に自らの党を壊滅させて、政権交代なんか望むべくもなくなったし*3
 それはともかく、もう20年くらい前のことになるが、一時期友人の住んでいた千葉県市川市の某所を訪ねたとき、駅の近くに落ち着いた雰囲気のお屋敷街があって、えらい高級住宅街だなぁと言ったら「ここらは東京の社長さんが2号さんを住まわせた別宅が建てられて、開けて来たんですよ」と言うのである。まぁ友人もそこに長く住んでいた訳ではないので、どのくらい正確な情報なのか分からないが、つい50年かそこいら前に「男の甲斐性」みたいな考え方が(そうしなかった社長もいるのだろうけれども)常識みたいに存在していて、それが松本清張の題材にもなっていたのである。殆ど見ていないけれども「社長シリーズ」も、そういう価値観をあり得べきものとして作られている*4。同性愛も、そういう人がいることは認めるべきだと思うけれども、一橋大学の遺族に訴えられた学生みたいに、巻き込まれたら対応に困る。どこか遠い話として現実味がないから寛容にして、と云うか、どうでも良いと云う態度を取っていられるだけで、実際に火の粉が降りかかってきたときに、鷹揚にしていられるかどうかは分からない。いや、私は規範意識の強い方だから、やはり旧来の道徳に従いたいと思うだろう。絶対に受け容れられないし、黙っていることも出来ないだろう。
 女子高には男子がいないから、男性教師に惚れる生徒が出て来る。そして教え子と結婚した教師も、何人もいる。もっと昔、昭和40年代には、卒業後しばらくして、卒業生の親からお見合い写真が送られて来ることがあったそうだ。写っているのは盛装したその卒業生である。――家事手伝いと云う肩書きがあって、見合い結婚が普通だった頃には、そんなこともあったのである。生徒として接するうちに、独身で交際相手もいない、くらいは分かる訳だし(中島敦みたいに妻子を隠していた例もあるけれども)まぁ親としては別に身上調査くらいするかも知れないが、娘が通学していた学校の先生だから家を出ても近くにいてくれて私立なら転勤もないし、教員とはこれ以上堅い職業もない訳で、親としても安心だったろう。……私にこの話をしてくれた、定年後に講師をやっていた人は、断ったそうだが。
 実は私も、告白されたことがあるのである。放課後に質問に来たりして、随分時間を割いたものだった。そのときは授業は受け持っていなかったのだけれども、私は頼られると応えたくなる性分なので、嫌な顔もせずに応じたのだったが、その後告白されて、怒りがこみ上げたのである。――そういうつもりだったのか、と。変な言い方だが、教師としての善意が弄ばれたような感じがしたのだ。それで、次のような自分の考えを言って、峻拒したのである。――私みたいな30代のオッサンと、10代の女の子がこうして日常的に接しているのは、教師と生徒だからである。そうでなかったら常識的に考えて何の関わりも生じなかったろう。だから、私とあなたには、教師と生徒と云う関係しかないので、それ以外の関係は、有り得ない。私があなたの質問に応じたのは教師として応じたので、もしあなたにそれ以外の下心があったとするなら甚だ不快である。確かにこの学校にも教え子と結婚した先生もいるけれども、私はそれは宜しくないことと思っている。とにかく教師と生徒の関係以外の感情が入り込むのなら、もうあなたとは何も話すことはない。
 しばらく後、卒業式の折に写真を求められたが、あなたとは撮らない、どうしても欲しければ他の生徒からもらえ、と言って追い返した。
 こういう話をすると(もちろん件の生徒が誰だか推測されないように、一般論として話すのだが)生徒は「ひどーい」「かわいそー」等と反応する。そこで私は反問する。「じゃあ(と両手を拡げて)俺の胸に飛び込んで来い、と言えばいいのか?」――すると「きゃー」「いやー」と云う健全な(?)反応があるからそこで畳みかける。――そんな訳ないだろう。別に妄想の世界で、私にあんなことさせようがこんなことさせようが、それは勝手次第である。しかし、それを現実に持ち込んだら、それ相応のリスクがあると知るべきだ。相手が自分の要求に必ず応じてくれるとは限らない。大体、同世代の男子がいない環境だからそんなおかしな思いを抱くようになったりもするので、ヨーロッパの映画の台詞*5に「恋愛の情熱は持って1年」と云うのがあったけれども全くで、卒業してしばらく余所の空気を吸えば麻疹みたいなものだったと気付くはずなのだ、と。
 偉そうなことが云えるほどの経験もないのだけれども、まぁそんなに経験していないからこんなことが云っていられるのかも知れない*6が、これを一橋大の事件に当て嵌めるなら、相手が必ず応じてくれるわけではない、むしろ一般的には応じてくれない可能性が高いところに、自分がそういう人だと云うことを(恐らく知りたいと思っていない)相手に強烈に分からせてしまったのだから、その一線を踏み越えることで生ずるリスクを覚悟するべきであった、と思うのである。自分は相手にさらけ出したのに、相手はそれを秘密として黙っているべきだ、と云うのも(死に至ったと云う結果を考慮しても)釣り合いが取れていないように思う。
 話が脇に逸れてしまった、と云うか何の話か分からなくなって来たが、――次期米大統領の女性に対する言動は、最近のものとしてはもちろん適当でないし、そういう価値観の下で育った今の生徒たちには理解不能だろうとは思うが、少し前まで当然のように存在した、あのくらいの年齢なら特におかしくもなんともない、ただのスケベ親父であって、許容出来なくはないだろう。まづ、家族が笑顔で並んでいるんだし。考えるべきはむしろ、こんな親父に負けるくらいクリントン氏が支持されなかった理由の方だろう。とにかく、こういう一昔前の、日本で云えば昭和30年代風の不道徳をなかったことにしたら、あの「三丁目の夕日」の映画と同じになってしまう。――アメリカと日本をごちゃごちゃにして書いてしまったが、どのみち似たようなものだったろうと思うのである。

*1:まぁそんなことは無理だと思っている。

*2:制度が悪いのであれば、これも私が女子高講師になってから授業で読むことになって漸く学習した丸山眞男(1914.3.22〜1996.8.15)の「「である」ことと「する」こと」に説明されていたように、制度を改めるよう市民が運動し続けるべきなので、制度に則ってやった結果が自分たちの望み通りにならなかったからと云って文句を云うのは間違いである。批判されるべきは次期大統領ではなくむしろ制度の方なのであって、制度を問題にするのであれば今ではなくもっと前から議論するべきなのである。

*3:だから私はもう政治には希望を持っていない。仕方がないと思っている。そして得票数よりも水増しされた議席数と詭弁で誤魔化さないで、もっと理詰めで説明して欲しいと思っている。

*4:大学院生になったばかりの頃、雑学通の同期生に適当に話を合わせていたら「社長シリーズだったら誰がイイ?」と聞かれて、当時は全く見たことがなかったので困ったのだが、たまたま見た写真の記憶から「小林桂樹」と答えたら、虚を衝かれたようで、少ししてから私のことをさも“通”であるかのように「小林桂樹、イイよねぇ」と喜んでいたので悪いことをしたような気分になった思い出がある。

*5:「山猫」の侯爵。

*6:難民に寛容であるべきだと論じるコメンテーターたちを見ていると、日本には難民が(ほぼ)いないからそんなことを言っていられるのだ、と思える。私も難民受入れは、しない方が良いと思っている。難民を受入れるのではなく、シリアならシリアにそのまま住み続けられるようにするべきだと思っている。本当にイラクで無用の戦争を起こし、そして無責任に煽ってシリアをこんな状態にしてしまったアメリカとヨーロッパ(一部)の責任は重いと思う(そもそもあんな国境線にしたのは誰なのか、と云う話まで遡っても良い)。そして日本がこうした世界情勢について、欧米と責任を担い合わないといけないとする考えは、まるで理に合わないと思っている。