瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

田辺貞之助『江東昔ばなし』(2)

 昨日の続きで本体について。
 上製本の見返しは、表紙・裏表紙ともに、江東区周辺の白地図を茶色で印刷している。左に隅田川が流れ蔵前橋から首都高速9号深川線までで永代橋は東詰で切れている。右上に旧中川、右下に荒川(放水路)、折れ目の少し左に四ツ目通りで最下部に地下鉄東西線東陽町駅、と云う範囲である。並製本の見返しは白のしっかりした紙で、遊紙が2枚あってその見開きに同じ図が、藍色で印刷してある。
 扉、上製本は橙色の紙にカバー表紙と同じ文字とイラストを茶色で印刷している。但しイラストの位置は上の余白が広く、カバー表紙では標題の「ば」に対岸の建物が重なっていたが、この扉では「な」に重なっており、その分、手前の水面が狭くなっている。並製本の1頁(頁付なし)扉は匡郭(16.4×9.9cm)内の殆どが余白で、上部中央に明朝体で標題「江東」と「昔ばなし」の間は僅かに空く。下部中央にカバー表紙のイラストの舟、版元名の下にあるシートを掛けられた1艘を取り出して、側面や水面に映る影・シートの皺を書き足したようなカットがある。
 「目 次」は上製本1〜2頁(頁付なし)、並製本3〜4頁で。前回、並製本のカバー裏表紙について触れたように3つの章に分かれており、さらに算用数字で番号を打って4つ・3つ・3つの節に分かれる。頁は章ではなく節について算用数字で示されるが、上製本はオールドスタイルだったが並製本明朝体である。また節題と数字の間を上製本は線で繋いでいたが、並製本は「……」で繋いでいる。その他、文字の大きさなども異なるが、1頁めが「江東と異変」の章の「1 大正六年の大津波」までで、章の下に1〜2行に小さく列挙される項は、改行位置も同じに組まれている。なお1章め、上製本は「江東昔ばなし」と詰まるが並製本は「江東」と「昔ばなし」の間が僅かに空いている。
 それは上製本3頁・並製本5頁の、1章めの扉でも同じである。
 上製本4頁・並製本6頁から本文。まず1字下げで大きく節題「1 深川のあちこち」とあるのは同じだが、上製本は右端に寄っているのに対し、並製本は3行取りである。次いでやや大きく1字下げで項題「深川という名」があって、上製本は前を2行分、後を1行分空ける。節題との間はさらに2行分空いている。並製本は3行取りで、節題との間にはさらに2行分空けてある。この1項め、並製本は7頁14行めまで。
 上製本1頁18行、1行44字。並製本1頁17行、1行42字。
 以下、この節の2項めから題とその位置を挙げて置く。
 挿入される図版の位置も添えた。キャプションは下に横組みで小さく、上製本明朝体並製本はゴシック体で付す。並製本の図版は上製本の図版を使用して若干濃く、かつ若干縮小して、刷ってある。
 「深川の運河」上製本5頁12行め〜・並製本8頁1行め〜
 「長手という道」上製本7頁11行め〜・並製本10頁4行め〜12頁17行め
 「岡場所と怪動」上製本10頁3行め〜・並製本13頁1行め〜17頁17行め
   図版「辰巳芸者」上製本12頁右上→「辰己芸者並製本15頁左上
 「永代橋上製本14頁12行め〜16頁18行め・並製本18頁1行め〜
   図版「永 代 橋」上製本15頁左上→「永代橋並製本19頁左上
 「ベカ舟」上製本17頁1行め〜20頁16行め・並製本20頁9行め〜24頁11行め
   ※上製本20頁11行め「二ツ三ツ」→並製本24頁6行め「ニツ三ツ」
     スキャナで読み取った際に片仮名の「ニ」になったのを校正漏れ。
「2 小名木川の川筋」上製本21〜30頁・並製本25〜35頁
 「小名木川の今昔」上製本21頁2行め〜・並製本25頁2行め〜
   図版「通 運 丸」上製本22頁右上→「通運丸並製本26頁右上
 「中川御番所上製本23頁2行め〜・並製本27頁4行め〜28頁17行め
   図版「中川船番所跡」上製本23頁左上→並製本28頁右上
 「私の生家」上製本24頁13行め〜・並製本29頁1行め〜
 「浅間さまと蜂須賀下屋敷上製本25頁8行め〜・並製本29頁12行め〜
   図版「小名木川の五本松」上製本26頁右上→並製本30頁右上
    図版はこれが最後。
 「四谷怪談芭蕉稲荷」上製本26頁16行め〜・並製本31頁6行め〜
 「ボンデン祭り」上製本29頁2行め〜30頁13行め・並製本33頁13行め〜35頁10行め
「3 江東のミステリー」上製本31〜53頁・並製本36〜61頁
 「海坊主」上製本31頁2行め〜33頁17行め・並製本36頁2行め〜 
 「勘造棒」上製本34頁1行め〜・並製本39頁6行め〜
 「大あかえい」上製本36頁5行め〜・並製本41頁12行め〜
 「呪いの歯」上製本38頁10行め〜・並製本44頁3行め〜
 「土左衛門の感謝」上製本40頁12行め〜・並製本46頁8行め〜
 「あの世の鮨屋上製本43頁7行め〜・並製本49頁9行め〜
 「お稲荷さまの執念」上製本47頁13行め〜・並製本54頁4行め〜
 「魔の家」上製本51頁6行め〜53頁18行め・並製本58頁4行め〜61頁6行め
「4 幼時の思い出」上製本54〜68頁・並製本62〜78頁
 「お神楽と万歳」上製本54頁2行め〜・並製本62頁2行め〜
 「初午」上製本58頁14行め〜・並製本67頁4行め〜
 「蓮の花の咲く音」上製本59頁13行め〜・並製本68頁5行め〜
 「泥メン」上製本62頁6〜15行め・並製本71頁4〜13行め
 「コレラ上製本63頁1行め〜・並製本72頁1行め〜73頁16行め
 「アート・スミス」上製本64頁16行め〜68頁18行め・並製本74頁1行め〜78頁10行め
   並製本、題の右に1行分空けていない。
 アート・スミス(1890.2.27〜1926.2.12)については2015年11月5日付「山本禾太郎「東太郎の日記」(28)」に梅中軒鶯童『浪曲旅芸人』を引用して触れたことがある。田辺氏は冒頭、

 たしか大正五年の春休み中だったと思う。アート・スミスというアメリカ人が月島で飛行機|の曲/乗りをするという噂が立った。‥‥

と書き出している(改行位置は上製本「/」並製本「|」)が、横川裕一のサイト「航空史の片隅 ART SMITH 鳥人の軌跡」を参照するに、東京での曲乗りはいづれも青山練兵場で月島では行っていないようだ。記憶違いであろうか。(以下続稿)