瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

田辺貞之助『江東昔ばなし』(3)

 昨日の補足。
 田辺氏が「アート・スミス」を見に行ったことは、確かだろうと思うのだが、これが何月何日に東京近辺の何処で開催された曲藝飛行だったのか、特定する作業は、横川裕一のサイト「航空史の片隅 ART SMITH 鳥人の軌跡」をざっと眺めた程度では見当が付かない。原資料まで当って検討すれば或いは見当が付けられるのかも知れないが、これ以上は立ち入らない。見当が付かないといえば、田辺氏の記述の最後にある、スパイ疑惑について引用して置こう。上製本68頁12〜18行め・並製本78頁4〜10行め、

 これはあとで新聞で読んだのだが、アート・スミスが札幌へ行って曲芸飛行をやったとき、|宙返/りをするたびに、なにかキラリと光るものがあるのに気がついて、警察へ知らせた人が|あった。そ/れが問題になり、警察でしらべたら、ピストルの形に擬装した写真機のレンズが|光ったのであった。/彼としては千慮の一失であった。つまり、アート・スミスは単なる飛行機|野郎ではなく、曲芸飛行/をよそおったスパイで、日本中の写真をうつして回っていたのであっ|た。私は呆気にとられ、曲芸/がすむたびに、飛行機を点検しながら、にこやかに見物人へ微笑|をおくっていた彼の柔和な表情を/思いだしたのであった。


 横川氏のサイトに拠るとアート・スミスの来日は大正5年(1916)3月18日〜7月20日大正6年(1917)4月20日〜9月で、大正5年は6月16日に札幌市で開催した飛行大会で墜落事故を起こし負傷、以後帰国するまで入院加療している。大正6年の来日では、さらにKorea、Chinaを回っているが、日本での旅程の最後、8月の後半を北海道各地を廻って過ごし、8月28日に前年事故を起こしたのと同じ札幌市の会場で飛行大会を開催している。つまり両年とも日本での旅程の最後が北海道で、問題になったのだとすれば大正6年ということになりそうだが、しかし、横川氏のサイトには特にそのような記述はなく、「足跡(大正5年)」を参照するに、5月28日(日)条、岡山県岡山市の練兵場での飛行大会、「2回めは、午後2時30分に離陸。5分後に3800フィートに達した時、写真機を取りだして機上より練兵場を撮影。」とあって、隠し撮りではなく堂々と撮しているみたいだし、5月29日(月)条、広島市西練兵場での飛行大会では「2回目の飛行中、写真器のレンズを飛行機より落とす。」ともある。――このスパイ説、田辺氏が読んだのだから東京の新聞に出ていたことになるが、札幌での飛行大会の直後に出たのか、そのとも後年、奇怪な風聞を耳にした新聞記者が興味本位に記事にしたものか。本当に「ピストルの形に擬装した写真機」を隠し持っていたのだとしたら怪しいことこの上ないが、しかし同じ擬装するならピストルの形にして撃つ真似なぞしない方が良さそうだ*1

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 昨日の続きで、2章め「江東と異変」を見て置く。
 上製本69頁・並製本79頁が扉(頁付なし)。
「1 大正六年の大津波上製本70〜82頁・並製本80〜93頁
 「台風来る」上製本70頁2行め〜71頁17行め・並製本80頁2行め〜
 「噴水のような火柱」上製本72頁1行め〜・並製本82頁4行め〜
 「巡査の茶飯」上製本74頁2行め〜・並製本84頁7行め〜
 「座敷に上がった木場の材木」上製本75頁7行め〜・並製本85頁13行め〜
 「水につかった花嫁衣装」上製本76頁16行め〜・並製本87頁7行め〜
 「恩賜の一円五十銭」上製本78頁9行め〜・並製本89頁4行め〜
 「水売りの声」上製本80頁4行め〜82頁2行め・並製本91頁2行め〜93頁3行め
「2 関東大震災上製本83〜92頁・並製本94〜104頁
 「舞い上がる四斗樽」上製本83頁2行め〜・並製本94頁2行め〜
 「被服廠跡の塔婆」上製本86頁4行め〜・並製本97頁11行め〜
 「新巻の匂い」上製本89頁8行め〜92頁9行め・並製本101頁6行め〜104頁13行め
「3 太平洋戦争」上製本93〜100頁・並製本105〜113頁
 「御神輿献納」上製本93頁2行め〜・並製本105頁2行め〜
 「東京大空襲上製本98頁11行め〜100頁11行め・並製本111頁2行め〜113頁5行め

*1:もし横川氏が田辺氏の記述に気付いて検討を加えることになれば、と期待して、少々余計なことを述べて見た。