瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(195)

田辺聖子『私の大阪八景』(14) タヌキ先生
 昨日書影を示した河合隼雄対談集『あなたが子どもだったころ』の四六判並製本光村図書出版)と四六判上製本(楡出版)の関係だが、頁数が一致するところから察せられるように、装幀が違うだけで本体はほぼ同版である。しかし上製本には、これが3年前に刊行した並製本の改装版であることを断っていない。
 260~261頁「あとがき」の冒頭、

 本書は『飛ぶ教室』第13号より第22号までに、「あなたが子どもだったころ」という題で連載/したインタビューをまとめたものである。

とあって、都立図書館のOPACで検索するに、雑誌「飛ぶ教室 児童文学の冒険」は創刊0号(1981年10月25日発行)から、ほぼ年4回刊行の季刊で53号(1995年4月20日発行)まで、別冊2冊を含め合計56冊が刊行されて休刊し、10年後の復刊特別号(2005年4月25日発行)から1月(冬)4月(春)7月(夏)秋(10月)の25日発行の季刊で、今月には第58号が刊行されることになっている。

飛ぶ教室 第58号(2019年 夏)

飛ぶ教室 第58号(2019年 夏)

 その休刊前の一時期、34号(1990年5月1日発行)から49号(1994年2月1日発行)まで、この間に別冊2冊(1992年10月、1993年3月)も刊行されているので計18冊の版元が「楡出版」なのである。光村図書出版の関連会社らしいが、ネットでざっと見た限りではよく分からない。詳細を知るには33号(1990年2月1日発行)及び50号(1994年5月25日発行)も含めて、版元が変わっていた頃の号を確認する必要があろう。とにかく並製本刊行から余り間を置かずに版元が変わって装幀も変えて、しかし本体はほぼ同版の上製本が刊行されたについては、掲載誌の版元変更の動きとの連動が考えられる訳である。
 そんな訳で、いろいろと問題のある本なのだけれども、並製本上製本のどこが違うのかは、講談社+α文庫版も見た上で述べることにして、今回は差当り田辺氏の対談について見て行くこととする。
 河合氏との対談が10人収録されているが、田辺氏は2人めである。雑誌掲載順に収録されているとすれば第14号(1985年5月1日発行)に掲載されたことになる。これも近いうちに確認する機会を持ちたいと思う。
 37頁(頁付なし)は扉で上部中央に明朝体太字の縦組みで「田辺聖子/ 人生のけじめを体得している人」と題して、裏(頁付なし)は右下に長新太(1927.9.24~2005.6.25)の毛筆らしい装画。39頁から2段組(1段17行、1行20字)の対談で59頁14行めまで、1字下げ2行取りのやや大きいゴシック体の見出しがあり、39頁上段1行め「人生のいちばん初めのレッスン」、44頁下段15行め「万引き衝動が消えてから物語を……」、48頁下段6行め「小学四年生という時代」、51頁上段13行め「大きな意味をもって存在する男の子」、55頁上段7行め「ロマンチストだった父」の5つの節に分けられている。41頁上段に田辺氏の写真。60~62頁(2行め)は段組みなしの河合氏の感想で1頁17行、1行43字、題はない。
 さて、タヌキ先生のことは1節めと3節めに見えている。次回、引用しつつ楽天少女 通ります 私の履歴書『田辺写真館が見た ”昭和” 』、そして『私の大阪八景』との関連を見て行くこととしよう。(以下続稿)