瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

いまに語りつぐ『日本民話集』伝説・現代民話(14)

 一昨日の続き。
・「現代民話」の出典⑦~内輪の資料(1)
 本シリーズにも、2月4日付「『夢で田中にふりむくな』(7)」に見た⑫渡辺節子と⑪岩倉千春の共著『夢で田中にふりむくな』と同様に、「不思議な世界を考える会会報」にも載せていない、内輪の資料が活用されている。まぁ「不思議な世界を考える会会報」に載っていても閲覧可能でないので内輪の資料みたいなものなのだけれども。
⑩『戦争をめぐる民話』編集:剣持弘子(細目:7月12日付(02)
・剣持弘子が思い出して書く
⑩十二・⑩十三・⑩三十
・会社員が木曾の御嶽山で聞いた話を高津美保子に報告
⑩六十五
⑪『学校の怪談編集:岩倉千春(細目:7月13日付(03)
・三十年以上前の話を思い出して、一九九九年四月に高津美保子が記録
⑪三十
・東京の男子学生が一九九八年に、レポートとして大島広志に報告
⑪百一
・東京の女子大学の大学院生の話を、一九九五年に渡辺節子が記録
⑪百四
・東京の大学生が、レポートとして大島広志に報告
⑪百五
・東京の大学生が、アンケートに答えて大島広志に報告
⑪百六・⑪百七
⑭『浮遊する現代の妖怪たち』編集:常光徹(細目:7月18日付(06)
・一九九三年に東京都小平市の主婦が語った話を高津美保子が記録したもの
⑭二十一・⑭二十二
・一九九三年に東京の女子大学生が話したのを渡辺節子が記録したもの
⑭七十五
 以上、⑩⑪⑭の3冊は各数例なのだが、⑫⑬⑮の3冊には、これがかなりの数に上っているのである。次回以降見て行くこととしよう。
 ところで、今手許に『夢で田中にふりむくな』がないので本文を比較出来ないのであるが、⑭七十五「隙間の女」は、2月3日付「『夢で田中にふりむくな』(6)」に引いた、『夢で田中にふりむくな』の「話のもとになった資料」の、「不思議な世界を考える会会報」41号(1996年2月)渡辺節子 編「私たちの百物語」を典拠とする、91頁1行め~92頁4行め「すき間の女」と同じなのではないか。そうすると、7月25日付(13)に見たように、⑭常光氏は『夢で田中にふりむくな』も出典として使用しているのだから、どうしてこの話だけ、内輪の原資料に拠ったのであろうか。それとも「不思議な世界を考える会会報」もしくは『夢で田中にふりむくな』を出典として挙げるつもりで、うっかり忘れてしまったのであろうか。
 そこで2016年12月19日付「『夢で田中にふりむくな』(1)」に挙げた、やはり「不思議な世界を考える会会報」を主要な典拠とする『日本の現代伝説』のうち3冊がある*1ので点検してみるに、3冊め『走るお婆さん』11〜54頁、渡辺節子が担当した「Ⅰ 新たな恐怖」に、7月7日付「閉じ込められた女子学生(25)」に見た、5節め「壁の傷あと」の少し後、7節め(35~38頁)「隙間の女」の例話(35頁2行め~36頁2行め)として、改行など若干の変更はあるが全く同文が、収録されているのである。この『走るお婆さん』には、36頁1~2行めに、

[出所] 一九九五年九月三十日、群馬県六合村での百物語の会で、東京の女子大の学生が話し、/渡辺が録音記録。*2

とある。して見ると⑭常光氏が「一九九三年」とするのは誤りで、かつ、表示の仕方も「「不思議な世界を考える会会報」41 渡辺節子「私たちの百物語」不思議な世界を考える会 一九九六」とするべきであった*3。こういう、容易に見られない文献については、きちんと表示してもらいたい。いや、次回以降より明らか(あからさま)になるのだが、編集担当者ごとに「話名および出典*4」の、内輪の資料に拠ったと思しき話の典拠の示し方が区々なのである。こういうことも監修者を立てたシリーズなのだから、きちんと方針を立てて、使用の便宜のためにも統一してもらいたかったものである。(以下続稿)

*1:7月29日追記】草稿のまま「全4冊が今手許に揃えてある」として投稿してしまったが、前日に予約を入れて置いて、揃えるつもりだった4冊めの『幸福のEメール』は、図書館に出向いたところまだ準備が出来ていなくて借りられず、今日、漸く手許に置くことが出来た。よって灰色太字の如く訂正した。

*2:ルビ「く に 」。

*3:『日本の現代伝説』は個々の話の[出所]はかなり明確にしているものの、7月24日付(12)の最後に注意したように出典を注記せず、巻末の「主要引用文献」に列挙されているものから見当を付けるしかない。『走るお婆さん』202~203頁「主要引用文献」を見るに、「私たちの百物語」は、納所とい子・渡辺節子編の(『不思議な世界を考える会会報』二二号、一九九一年一月、不思議な世界を考える会)と、渡辺節子編の一〇号・一九八七年七月、三一号・一九九三年五月が挙がるのみで、四一号・一九九六年二月がない。或いは、そのために常光氏は探し当てられなかったのかも知れないが、それなら『走るお婆さん』を出典に挙げれば良かった訳で、どうも、不可解である。【7月29日追記】4冊めの『幸福のEメール』はこの点を改善していて、個々の話の[出所]に、出典も添えている。

*4:⑬のみ「話名および出典一覧」。