瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

山岳部の思ひ出(5)

 昨日の続き。
 可愛い(?)女子部員とも女子に釣られて入ったろう男子部員とも、所詮は縁がなかったのだ、と諦めて、夏山合宿は吹奏楽部の部長と皮膚が弱くて高山の強い紫外線に曝されるのを避ける必要のあるもう1人は不参加で、部長と副部長の私と、もう1人の2年生部員3人と、顧問2人の合計5人が参加した。10人以上参加して女子部員(1学年上)もいた前年の夏山合宿と違って、少数精鋭になったから、ルートも前年よりもハードなコースを選び、充実した山行を愉しんだのだが、2学期になると部室には、部長と私の2人が来るばかりになった。例年なら夏山合宿を経て成長した1年生に、いよいよ代譲りのためにいろいろなことを伝えて行く時期に当たるのだが、肝心の1年生がいないのである。実は夏山合宿不参加の2人と、夏山合宿後に来なくなった1人と私は同じクラスで、私のクラス内での対立と孤立には、この、部活に於ける微妙な関係が絡んでいた(ように思う)。

 放課後によく、用水の取水口へ下りる石段にぼんやり座って、西日にきらめく川面を眺めたものだったが、この石段も今はないようだ。その近くにあった自動車が通れなかった橋も、今はゆったりした2車線に、もとの橋の幅ほどもある歩道が両側に付いている。
 いや、やはり忘れてはいない。あの山の形も、川の水も、橋の灯りも、少し寂れた通りの風情も、攀じ登った裏山の崖も、滝も、堰堤も。それが随分断片的になってしまっただけだ。四季折々に見たはずなのに、ある1点に集約されて、その輝きも次第に褪せて来ている。

2016年4月4日付「万城目学『鹿男あをによし』(4)」に書いたのは、この頃の印象である。――部活は開店休業状態で、他に何もすることがないのだが、真っ直ぐ帰る気にはならず、学ラン姿のまま裏山に登ったり、川沿いに下ったり、とにかくあちこちを歩き回った。私がこの時期をやり過ごしたのは、クラスや部活での抑圧を、脚力に任せて発散することで、溜め込まずに済ませたからだったように思う。
 こうして自発的に裏山や川縁や旅館街や旧街道筋などを歩き回って、疲れたことは疲れたはずなのだが、疲れたから帰ろうと思ったことは一度もない。帰るのは日が暮れそうだから帰るので、日が暮れなければ私はいつまでも歩いていられそうだった。歩くのも速くなった。特に上り坂が速い。これはあるとき、ふと、――上り坂だと、この、前に蹴り出した足を、平地や下り坂みたいに下ろさなくても、地面が近づいて来る分だけ、下ろさずに済むんだな、と妙なことを思い付いたのである。そして、この発想の切替え以来、私は坂を上るのがむやみに楽になった。もちろん、蹴り出した足に続いて、身体の残りを持ち上げないといけないのだから、本当はそっちの方が面倒臭いはずなのだが、一旦そういう思考回路が出来てしまうと、もうそっちの厄介は不思議と気にならなくなるのである。だから、私は上り坂も平らなところと同じくらい、ことによるとより高速度で歩ける。急な坂の方が好物である。そうすると、一般人は坂道では遅くなるから、いよいよ私が速いことになってしまう。今でも、睡眠不足でもない限り、途中でバテることはない。例えば目黒の権之助坂では100人くらい抜いてしまう。
 それはともかく、――それでも年号が平成に変わり、年度が改まって高3になると、これまで部室に寄り付かなかった2人もやってきて、今度こそ新入部員入れようや、と、それなりに盛り上がっていた。
 文化祭での私の体験は伝えてあった。――女子が2人まで、入部しようかと思っていたとすれば、これは何とかなるで、と思ったのである。
 しかし、甘かった。やっぱり誰も来てくれなかった。大学の勧誘のように、表に机を並べて、声を掛けるのなら何とかなったかも知れない。しかし、体育館で全部活が決まった持ち時間に勧誘演説を行って、その後は新入生が、練習を見に来るか、部室に訪ねる来るか、を待つしかない。しかし、待っていたのでは来ない。積極的に打って出ても、結局、部室に連れて来ないといけない。しかし、校舎内に部室があることが却って悪目立ちするのか、それで変な噂でも流されているのか、最初から避けられて、稀につかまえて1度は部室まで連れて来ても、2度と再び来てくれないのである。
 そんなある朝。

 手詰まりになって、ついに高3の野郎5人、部室に屯して、――あぁあ、今年も部員、入らねぇか、とぼやいていると、開け放した入口の戸の向こうに人の気配がする。
 見ると、そこに女子生徒がいる。部室は階段の下の奥まったところにあるから、そこまで来ているということは、山岳部に用事があるとしか思えない。そして、
「あのぅ、山岳部に入りたいんですけど」
と言ったのである。

――と云う夢を見た。重症である。
 続き。

 うおっとなって、野郎5人思わず我を忘れて感激して、歓迎しようと部室から飛び出して、とにかく中へ招じようとすると、我々の異様なテンションに引いたのか、
「いえ、あの」
と、困ったような声で、後ずさりする。
 こっちは今度こそ逃してなるものか、と思っているから、その女子生徒の腕をつかんで、無理やり部室に引き入れようとする、その腕が、やはり温かかったのである、

――と、女子高で教えていた頃に私の悲惨な高校時代の話として、ここまで聞かせると、生徒たちから「きもーい」と声が上がる。
「だから、夢ですっ」
と言うと、そこで自分たちの過剰反応(?)に気付いて笑いが漏れる。
 小学生の頃、まだ男女混成だった体育の授業で、女子の手を取って何かしたことがあったくらいで、その後全く女子生徒との縁はなかったから、当時の私にはとてもでないがそんな大胆なことは出来なかったと思うのだが、夢では出来てしまうのである。
「それでどうなったんですか?」
と、女子高の生徒たちに聞かれるのだが、別にどうもならないのである。夢は大抵、大胆行動で覚めてしまう。
 このままでは山岳部は私たちの代で潰れる。私たちが潰す。――そして前回書いた、私たちに淡い希望を抱かせた、文化祭に別々に現れた、入部を考えていた2人の女子生徒、顔も見ていない、どこの誰かも分からない、でも上手く行けば勧誘出来ていたかも知れない、しかし何も出来ずに手をこまねいて取り逃がしてしまった、その2人の与えた衝撃が、……1人なら諦めも付く。しかし、2人だったことが与えた二重のインパクトが、私をしてこんな夢を見てしまうまでにさせていたのである。(以下続稿)