瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

山岳部の思ひ出(9)

 何となく、昨日の続き。

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 私が山に登らなくなったのは、一緒に登るような仲間がいないからである。
 高校卒業後も兵庫県に残っていたとして、高3のときに2017年4月3日付(6)に述べたように顧問によって山岳部を追放されている私にはOB面は許されない。山岳部関係者には卒業してから1度も会っていない。
 大学で同じサークルの連中と、何度か奥多摩周辺に登りに行ったことがあるが、続かなかった。
 2016年4月2日付「万城目学『鹿男あをによし』(2)」及び2016年4月3日付「万城目学『鹿男あをによし』(3)」に述べたように、私の性分は基本的に自分勝手で人に合わせて行動を制約されるのが嫌なのである。
 だから、高2の夏山合宿以後、2017年4月2日付(5)に述べたような按配で、部員がまとまって山に登る機会は皆無になってしまったが、実は私にとってはその後の単独行動の時期の方が本領発揮のように思えてならないのである。思えば、秋の遠足での2年続けて単独行動を取ったのも、山岳部での単独行動の延長だったのだ。
 いや、私は初めから余り周囲に合わせようとしていなかったように思う。――高1の夏山合宿のとき、大阪から行きは夜行だったろうか、急行に乗って名古屋から木曾谷を経て松本に着き、そこからバスで上高地に入って穂高岳に登った。涸沢にテントを張って、ベースキャンプ方式で北穂高と奥穂高を往復した。奥穂高から男子部員だけ前穂高を往復する計画だったが雨が降って視界不良なので無理をしなかった。そして同じルートを下りて松本駅に戻り、まだ明るいうちに急行で大阪に帰って来た。その帰りの車中、私はBOXシートに座らずに、デッキに立ってドアの窓から外を眺めていたのである。
 すると、3人いた顧問のうち1人が様子を見に来て、声を掛けてくれた。座らへんのか、と言うので、外の景色を眺めているのだ、と答えると「ロマンチストやな」と言って戻って行った。別に当時はまだ、同学年の連中と気不味いと云うこともなく、本当に車窓から景色を眺めていたくて、そうしていただけなのだが、その後、何だか知らないが2017年5月2日付「スキー修学旅行(1)」に述べたようなこともあって、酷く気不味くなったのである。
 この顧問は当時40代だったと思うが、眼鏡におかっぱ頭のように前髪の揃った髪型で、上級生は「どら」と呼んでいた。ドラえもんに似ていると云うことだったと思うのだが、ドラえもんだけでなくのび太にも似ていた。
 その後、急に辞めたのである。家を相続するために故郷に近い滋賀県北部の高校に移ることになって、それで残りは社会科の男性教諭が2人、うち1名は学校には私らが卒業したときにも残っていたのだが山岳部には関わらなくなって(どうしてそうなったのかは、全く覚えていない)代わりに新たに赴任した理科の男性教諭1人が加わって、高2の夏山合宿にはこの人が、元からいた社会科の1名*1とともに参加した。生徒は高2男子3名、部長と副部長の私と同級生でその後私と決定的にこじれた1名、合計5名で、少数精鋭だった。この理科のまだ若い教諭は私たちが3人でテント設営や食事の支度などに走り回っているのに同情して、理科教師としての特技とばかりに天気図を書いてくれた。当時は携帯電話なんかなかったから、ラジオの気象情報を聞き取って天気図を書き、自分たちで明日の気象を考えていたのである。そしてこのT先生が「大丈夫や」と言うので、狭いテントに入りきらない食器を外に出して置いたら、翌朝雨が降っていて水が溜まっていた。私たちは「先生〜」てなもんだったが、先生は出発前にラジオを聞いて、太平洋の海水温が高いので昨日、東海沖に急に小型の台風が発生した、その影響で雨になったのだ、と解説してくれたので、それ以上苦情を言わなかったのだが、――本当に山では急に何が起こるか分からない。いや、平地でも同じだが、今時の平地ならコンビニエンスストアに駆け込めば傘が調達出来る。しかし山には何もないから、常に万一に備える必要があるのである。もちろん、全員、防水の上着にポンチョを用意しているから、テントが重くなるのには閉口したが、元気に出発して予定より早く、秘境と云われる集落に下山したのだった。
 1月9日付「水上勉『湖の琴』(1)」の準備をしていて、ふと「どら」――とは、私らは授業を担当してもらわず、顧問としてたまに接するくらいだったので、そんな呼び方をするほどの親しみもなかったのだが――N先生がこの辺りに戻ったのだと思い出したのである。雪が深いと言っていたから、伊香郡でも余呉湖の辺りではなく越前に近い山間部だったのであろう。先月、満年齢で傘寿を迎えた父よりは若干若いと思うのだが、果たして達者だろうか、と思うのだけれども、苗字しか覚えておらず、教わらなかったせいで教科も分からないので、調べようがなかった。
 初めの話に戻るが、山行に誘ってくれる仲間もいないし、1人だと面倒だから、もう私は山には登らないように思うのである。花粉症だし。(以下続稿)

*1:この人が私らを山岳部から追放した張本人である。