瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

松本清張『ゼロの焦点』(3)

 3月16日付(1)に示したように、新潮文庫版が次の映画公開の頃に、尋常でないペースで増刷されている。そこで、この映画も見て置こうと思ったのである。
犬童一心監督『ゼロの焦点 平成21年(2009)11月14日公開。


 パッケージ(裏側)に「日本ミステリーの原点にして至高の傑作、ついに映画化!」とある。

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 しかし「ついに」とは、3月17日付(2)に取り上げた野村芳太郎監督の映画はどういう扱いなのか。野村監督よりも「至高の傑作」に忠実に作ったと云うことなのだろうか。しかし、昭和32年(1957)の金沢で女性市長(黒田福美)誕生などと云う、どう考えてもあり得ない設定を持ち込んだり、室田社長(鹿賀丈史)が身代わりに逮捕されて署内で派手に自殺したり、あまり忠実な「映画化」ではないのである。――この「ついに」は、いったいなんなのだ。
 さらに吃驚したのは「特典映像」の「予告編集」が尋常の数でないことである。
①「特報1」30秒
②「特報2」30秒
③「特報3」30秒
④「予告編1」1分半
⑤「予告編2」1分半
⑥「TVスポット(特報1タイプ 15秒)
⑦「TVスポット(特報1タイプ 30秒)
⑧「TVスポット(特報2タイプ)」30秒
⑨「TVスポット(特報3タイプ)」30秒
⑩「TVスポット(予告タイプ)」15秒
⑪「TVスポット(サスペンスタイプ)」15秒
⑫「TVスポット(感動タイプ)」15秒
⑬「TVスポット(3女優タイプ 15秒)
⑭「TVスポット(3女優タイプ 60秒)
 これだけ派手に宣伝していたから、新潮文庫の増刷もハイペースだったのである。部数も多かったであろう。

 それから、Endingにやたらと力強い主題曲が延々と流れる。
 ついでに、前回紹介しなかった野村監督版の予告篇を示して置こう。

 さて、犬童監督の映画は、この前に撮った『グーグーだって猫である』を、漫画を読んでしばからくしてから借りて見たが、所謂「原作rape」と云う奴だと思った。吉祥寺と云う街に私たちが何となく抱いている印象に寄り掛かって、それを表面的に利用しているが、吉祥寺と云う街を全く描けていないと思った。その直後に見た大林宣彦監督『時をかける少女』で、街が生き生き描かれているのに感心した。しかしあれは尾道と竹原の合成なのだそうだ。
 この後で樋口真嗣と共同で撮った『のぼうの城』も、これはTV地上波放送で見たのだが、変だった。地理好きとして奇怪だったのは、主人公が領内を回って、ある農村で村人たちと交流するのだが、それが木々の生い茂った丘陵地の麓、谷戸のようになったところに位置しているのである。しかしあれでは武蔵国でも南部、横浜市域辺りの農村みたいである。あの辺はほぼ平らで、低地は田圃、そして微高地に集落や畑が広がる。だから高松城と違って水攻めに適さなかったのである。(以下続稿)