瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

Antoine François Prévost “L'Histoire du chevalier Des Grieux et de Manon Lescaut” (5)

新潮文庫976『マノン・レスコー』(5)
 8月6日付(4)の続きで、②六十三刷と②六十六刷の異同について。なお、ここまで何箇所か「新潮文庫970」と誤記していたのを8月3日に訂正した*1
 本体について、六十三刷は8月6日付(4)に、六十六刷は7月15日付(3)に五十五刷と比較してメモして置いた。カバーについては7月13日付(2)に五十五刷と六十六刷を比較し、六十三刷についても注に追加してある。従って、五十五刷を介して六十三刷・六十六刷の異同は諒解されるはずなのであるが、五十五刷と六十六刷を比較したときに注意しなかった大きな異同があることに気付いたのである。
 すなわち、本文と奥付の間にある目録に差替えがあることに注意して来たが、六十三刷と六十六刷を比較するに、六十六刷では一部差替えではなく、1頁まるごと組み直しているところがある。六十三刷の目録の匡郭(11.7×8.0cm)に注目すると、六十六刷の目録のうち2・4・5・7・9頁めは縦の長さが僅かに(0.1cm未満)伸びているが、同版に見える。しかるに1・3・6・8・10頁めの匡郭(12.1×8.0cm)は明らかに縦の寸法が長く、六十三刷では全て線にブレがあったのが、これらの頁は線が細く、ブレがない。
 なお、11頁めは同版でともに縦が11.9cmと長い。
 「新潮文庫最新刊」の匡郭(12.5×8.0cm)は、六十三刷も六十六刷も同じで、上部0.9cmのところで仕切っている。(以下続稿)

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 久し振りに庭に出たら、背黄青鸚哥のための青梗菜を盥に張った水に浸けてあるのだが、ぼうふらが湧いていた。背黄青鸚哥の水入れを洗った水も捨てずにバケツに溜めてある。庭の梅や椿にやるためである。夏に晴れて暑い日が続くと朝夕水をやらないとへたばってしまう。私が夏に旅行を計画しないのは庭木が枯れないようにするためなのである。金もないけれども。それはともかく、藪蚊が卵を産み付けるのは仕方がないので、羽化しないよう水は頻繁に入れ替えているが、雨が続くと庭に出られなくなるので鬼ぼうふらになってしまう。
 早速捨てて取り替える。それでも藪蚊がひどい。隣家にずっと水が溜まったままになっているところがあるのだが、勝手に入って行く訳にも行かないから仕方がない。今日のような雨続きの合間の曇りは、特に藪蚊の襲撃が激しく、僅かな時間出ていても何箇所も刺される。十分に身体を払って駆け込むように屋内へ、網戸もせいぜい3秒くらいしか開けていないのに、付いて入って来るのである。
 盥の青梗菜は晴れて暑い日が続くと萎びてしまうが、雨続きで陽射しが弱く気温がさほど高くなくてもこの時期、放っておくと高温多湿で腐ってしまう。鳥籠の菜差しの青梗菜は1日で腐ってしまう。そこで今日は葉が黄色くなったり茎が変色しかかった怪しげな葉を除いて、盥の水も新しく冷えたものに張り替えた。背黄青鸚哥は高温多湿にめげずに、雀と仲良く鳴き交わしている。うちの背黄青鸚哥は手乗りではないので、私を親だと刷り込まれていないから、正しく(?)雀が仲間だと思っているのである。
 一昨日の洗濯物は、今日まで干しっぱなしにしていたら何とか乾いた。