瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

山岸凉子「ひいなの埋葬」(3)

 昨日の続き。
山岸凉子スペシャルセレクションIX『鬼子母神』(3)
 それはともかく、梨本家については、まづ京子によって、315頁6コマめ「といってもあたしもくわしい関係はしらないのよね 皇族の血をひく元華族だというしかね」と説明され、従兄の進によってさらに詳しい説明がなされます。
 316頁4コマ〜318頁5コマめ、

進:「梨本家にはね ぼくや弥生さんのひいお祖父さんにあたる人が/明治末期に入婿しているのさ」
京子:「へえ〜 入婿  それは初耳だわ」
弥生:「つまり養子ということね」
進:「梨本家ってとこはおかしな家でね 代々 女性しか生れないんだ」
弥生:「まあ 女性しか  そんな 男は一人も生れないの!?【316】
進:「さあ…そりゃ なかには男も生れたかもしれないけど/早死にかなんかで結局女がのこるんじゃないの女系家族っていうのかね たまにあるらしいんだけれど/圧倒的に女性が多く生れる家系なんだろうね」
京子:「おもしろ〜い じゃいまも女の人が継いでるのかしら」
進:「さあねえ あの家には一度もいったことないしなあ」
京子:「梨本家と皇族の関係はどうなるの」
進:「ふむ そこまでいくとぼくの記憶もあやふやなんだが明治天皇の前の代の天皇というと誰だい?」
京子:「わかんないわよそんなこと 歴史の本でもなきゃ ねえ」
進:「とにかくその天皇のいとこにあたるひとの娘がね まあ当時でいやあ姫君だよねその人が梨本家にとついだのさ 降嫁というのかな」【317】
京子:「まあ じゃやはり女性が強い立場にある家系だったのね 運命的に」
進:「弥生さん 雛の節句に招待されたんだろ」
弥生:「ええ」
進:「じゃあその皇家の姫君とやらが持ってきたひな人形が見られるわけだよ」
弥生:「ひな人形…」
京子:「わあ ステキ 代々伝わってるの?」
進:「そう 幸か不幸かあの家の主はいつも女性だから/そのひな人形が主のしるしみたいなもんなんだって」
京子:「わあ いいないいな/うちなんて川島家の分家すじだから梨本家に見向きもされないわ」


 まづ「梨本家」と云うと伏見宮系の皇族「梨本宮」家(1871〜1947)が連想されますが、この「梨本家」は皇族ではなく公家華族であったようです*1
 「明治天皇の前の代の天皇」は孝明天皇(1831〜1866)、孝明「天皇のいとこ」は、その父・仁孝天皇(1800〜1846)の兄弟姉妹の子供と云うことになりますが、仁孝天皇には成人した兄弟姉妹がいなかったようで、まぁ、漫画ですから(?)進も「あやふや」と断っているように、そこまで厳密に考える必要もないのですけれども。
 とにかく、そういう人がいたことにして、その「姫君」が梨本家の男性当主に「降嫁」したことになります*2明治天皇(1852〜1912)と同世代として、この「姫君」を仮に1850年頃生れとすると、以後、女系で血筋が続いたとして、その娘が1870年頃、その孫娘が1890年頃に生れたと仮定出来ましょう。この「姫君」の孫娘に「明治末期に入婿*3し」たのが、弥生や進・京子兄妹の「ひいお祖父さんにあたる人」だと思われます。明治末期、40年代として1910年前後と云うことになります。
 ここで「ひいお祖父さんにあたる人」と云うのが引っ掛かります。川島家の男系の曾祖父が梨本家に入婿してはおかしいので、ここをもう少々細かく考えて見ましょう。
 弥生と進・京子兄妹は「いとこ」ですから、弥生の両親のどちらかと、進・京子兄妹の両親「おじさま/おばさま」のどちらかが兄弟姉妹と云うことになります。「おじさま」はまだ髪は黒いのですが、額から頭頂部まで綺麗に禿げ上がって、法令線の描かれない若そうな「おばさま」よりも一回り上に見えます。「分家すじ」と云う言い方からして、弥生の父と「おばさま」が兄妹(もしくは姉弟)で、川島家もなかなかの家柄で「おばさま」は財界の有力者の息子に嫁いだのでしょう。315頁4コマめ・316頁1コマめから察するに「おじさま」は経営者として多忙な毎日を過ごしているようです。315頁4コマめのおばさまの台詞「米さん車をまわして」は、この家が中年の女中を使っていることを推察させます。進や京子たち、おじさま/おばさまの一家の姓は、川島ではないようですが不明です。
 さて、川島弥生が事件直後の昭和51年(1976)3月に満17歳になるとして、生れたのは昭和34年(1959)3月*4、京子は昭和33年度の生れ、進は2つか3つ年上の昭和30年(1955)頃の生れでしょう。
 弥生たちの親の世代は昭和10年(1935)頃の生れ、祖父母の世代は大正4年(1915)年頃の生れ、すなわち「明治末期に」梨本家に「入婿し」た人は川島家を継いだ人の弟(か、従兄弟か、とにかく一族の誰か)で、その娘が川島家を継いだ兄(か、従兄弟か、とにかく本家の当主)の息子と(従兄妹同士で)結婚したので、曾祖父の世代が(兄弟とも)「ひいお祖父さんにあたる人」になったのでしょう。
 とにかく「川島家」から「入婿」した人の娘が、川島家の当主に嫁いだと云うことでなければ、もっと簡単に「ぼくたちのお祖母さんが梨本家の出身なんだ」と言えば良さそうなものですから。(以下続稿)

*1:梨本宮家は昭和22年(1947)の皇籍離脱後は「梨本家」として現存。明治以前から「梨本家」と称していた本作の梨本家とは別の家と云うことになります。

*2:孝明天皇の生母の兄弟姉妹の子供も孝明「天皇のいとこ」と云えましょうし、生母以外の父・仁孝天皇の妃たちの兄弟姉妹の子供も孝明「天皇のいとこにあたるひと」と云えましょう。そうすると候補は多数になります。しかしそれでは「降嫁」と云う語と合わないようですが、「いとこにあたるひと」のうちで宮家に生まれた人、或いは宮家に嫁いだ人がいて、その娘であれば「降嫁」と云えるようです。

*3:ルビ「いりむこ」。

*4:弥生の両親が死んだのは、昭和47年(1972)でしょうか(学年で4学年前として昭和46年度の可能性もあります)。死因は説明されていません。