瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

山岸凉子「ひいなの埋葬」(2)

 8月20日付(1)の続き。
山岸凉子スペシャルセレクションIX『鬼子母神』(2)
 さて、梨本家の主治医・影尾雪は、313頁6コマめ「私は弥生さまを来月 梨本家でひらかれる雛の節句に御招待するよう いいつかってきたものです」と言って、313頁5コマめ(梨本家……どこかで聞いたことがあるような)と云った程度の認識の弥生を戸惑わせます。
 主人公の弥生は、311頁6コマめ(4年前にパパとママが亡くなってから/あたし個人へのお客なんて来たことないのに)と思っているように、両親と死別して今は「おじさま/おばさま」の家に同居しています。
 弥生の年齢ですが、311頁3コマめに(そう 16の春まで……)とあって満16歳の高校生です。学年ですが、「おじさま/おばさま」の娘、すなわち315頁5行め「いとこ」の京子が、同じ制服を着ているところからして弥生と同じ学校に通っているようですが、401頁5コマめ、前回引用した弥生の台詞の前に「お〜お おそろし 魔の高3になってしまった」と言っています。登場人物としてさほど重要とは云えない京子の学年を殊更明示する必要はないでしょうから、言葉遣いなどから推して京子は弥生と同学年で、これは京子の台詞によって弥生の学年を示唆した*1、と云うことだろうと思います。
 かつ、3月生れでないのに「弥生」と名付けるようなことは滅多にないでしょうから、3月中に満17歳の誕生日を迎える直前の、16歳の高校2年生と云うことになろうかと思います。
 作中の時代ですが、前回、結末が4月、すなわち発表後であるところから、昭和50年(1975)以前と考えるべきか、との見当を示しましたが、結末に至るまではちょうど発表された頃の時期に当たっており、読者は今現在の出来事のつもりで読んでいただろうと思います。昭和50年以前として何年に当たるか、特定出来ませんし、差当り発表時と同じ昭和51年(1976)を、仮に作中の時間と考えて、以下の考察を進めたいと思っています。若干の誤差は出ますが、決定的な錯誤は生じないはずです。
 なお、京子には、316頁1コマめ、夕方に私服で帰宅しているところからして大学生の「進兄さん」がいます。
 さて、314頁4コマめ「おじさまもおばさまも」梨本家からの招待を名誉なことと思っていて、313頁7コマめ「は? でも あの 学校は?」と言う弥生に、314頁1コマめ「もちろん休んでもいいじゃないか 春休みにも近いことだし」と言うのです。平成20年代の今ならともかく、弥生が「はあ!?」とおじさまに応えているように、当時はこんな理由で、しかも学年末考査に近いか、或いは重なってしまうかも知れない時期に「雛の節句」のために休むなどと云うことは常識では考えられないことだったでしょう。すなわち、そういう非常識な態度を取っても構わないくらい、梨本家は権威ある存在だと云うことが示唆されております。
 ちなみに昭和51年(1976)3月3日は水曜日で、314頁2コマめ、影尾雪が「それでは28日にお待ちしております 私はこれで……」と言う、2月28日は土曜日です。すなわち、弥生は土曜日の学校が終わってから、或いは早退して、それとももう欠席してでしょうか、新幹線に乗って東京を発つのです。(以下続稿)

*1:「弥生」が3月生れとすると、同学年でも京子の方が早く生まれている可能性が高くなります。