瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

水島新司『ドカベン』(24)

鈴木則文監督『ドカベン』(19)
 10月11日付(22)の続き。
 この映画には続編は作れない、と私は思っていた。
 まづ、設定と登場人物の問題。
 この映画は、中学時代のことを明訓高校の、しかも2年生のときのこととして作っている。
 登場するライバルは、原作の中学柔道部時代の影丸と賀間くらいで、原作の中学野球部時代の小林が登場しない。だから野球を辞め、かつ鷹丘中に転校して来た理由が全く問題になっていない*1。そして原作では山田の才能に注目して高校での対戦を望む不知火・雲竜、そして山田とバッテリーを組むことを希望している里中らが、山田の進学先を知りたがるのだが、そういうライバルたちも寄って来ない。いや、山田が有望な選手であったと云う過去が、この映画ではスッポリ抜け落ちているのである。まぁ原作もおかしいと云えばおかしいのだ。鷹丘中では長島だけが山田の野球の才能に気付く、と云うことになっているのに、山田が野球部に入った途端、高校野球部の主将たちが山田の打撃を見ようと鷹丘中のグラウンドを取り囲むのである(文庫版⑤237〜274頁)。こんなに有名な選手だったのに、なんで長島や鷹丘中野球部の面々は何にも知らなかったんだ? 高校野球部の主将たちは何処から情報を仕入れて*2集まって来たんだ。
 それはともかく、そんな訳で、高校1年の新入生として入る訳ではなく、高校2年の夏の大会が終わって秋から始める訳だから、上級生はいないし、全てもとから山田と関係なく原作の鷹丘中(≒映画の明訓高校)にいた連中の寄せ集めである。だから明訓野球部なのに原作の主要メンバーとしては岩鬼殿馬がいるくらいで、後は右肩の故障のため、中学野球部だけで消えてしまった長島の選手生命を延命させて、……加えて捕手の山田の4人で、なんとかチームが回らなくもないかも知れないが、原作の中学野球部は初戦敗退で1試合しかしていないのである。
 本作は原作の設定を取り入れながらそれなりに纏めていたのが、このまま高校野球に「突撃を開始」するとしたら原作とはかなり変わった筋書きを用意せざるを得なくなるだろう。それは、かなりな「創作」になってしまうのではないか、と思ったのである。
 そんなものは誰も望まないだろう。事実、原作をそれなりに巧く纏めたと云えなくもない本作にしてから、野球漫画の映画化を期待して映画館に出向いて見た少年たちが、殆ど野球をせずに終わってしまったことに対する憤りを中年になった今になって、twitterなどで「最低の実写化」等と述べているくらいなのである。
 もう1点、私が続編を考えていなかったのではないか、と思った理由は、副題がないことである。鈴木監督の『トラック野郎』シリーズも、山田洋次監督の『男はつらいよ』も、副題がある。本作は『ドカベン』だけである。続編を作るつもりがなかった『男はつらいよ』の続編が、初期には『続・男はつらいよ』『新・男はつらいよ』等と題していたのはともかく、高校野球と云う期限が切られている舞台を対象として『ドカベン』『続・ドカベン』『新・ドカベン』みたいな題の付け方はしないだろう。そうすると『トラック野郎 御意見無用』のように、最初から『ドカベン 山田太郎登場』のように付けた方が良さそうなものである。後は春と夏で1作ずつ作るとして『ドカベン 奇跡の選抜制覇』『ドカベン 涙の春夏連覇』などとして置けば良いのである。しかるに本作の題は『ドカベン』とだけで、先への展開が望めない中学時代のエピソードを中心に纏めてある。これでは続編は無理だし、そのつもりもなかったのではないか、と思ったのである。
 ところが次の本に載る、本作の脚本家掛札昌裕のインタビューを見るに、やはり続編を考えていたらしいのである。
洋泉社MOOK別冊映画秘宝『映画『トラック野郎』大全集』 鈴木則文/宮崎靖男/小川晋 編著・2010年8月23日発行・定価1600円・159頁・A4判並製本

映画『トラック野郎』大全集 (別冊映画秘宝)

映画『トラック野郎』大全集 (別冊映画秘宝)

 159頁の裏、奥付に「本書は『トラックキング』2007年11月号〜2008年4月号に連載された鼎談を大幅加筆・改訂したものに追加取材を行い再構成したものです。」とある。
トラッキング 2007年 12月号 [雑誌]

トラッキング 2007年 12月号 [雑誌]

トラッキング 2008年 02月号 [雑誌]

トラッキング 2008年 02月号 [雑誌]

「鼎談」と云うのは033〜133頁「『トラック野郎』全10作品完全解題」で、編著者の3名が作品ごとに語り合っている。続いて136〜158頁「スタッフ・インタビュー」として6人(聞き手:小川晋)のインタビューが載る。これは初出誌にはない「追加取材」なのであろう。その4人め(145〜148頁)が「掛札昌裕(脚本)」のインタビューで、その一節に、146頁上段15〜22行め、

――では実際、掛札さんトラック野郎の話がきたのは、鈴木監督の作品で、掛札さんが脚本を担当された77年ドカベン公開前後でしょうか?
掛札 そのくらいだったかも知れませんね。『ドカベン』は、/そもそもシリーズ化する話で始まった作品だったんです。/それが1作目で打ち切りになってしまい、次に鈴木監督の/作品で話をもらったのが、6作目『男一匹桃次郎』でしたね。

とある(二重鍵括弧は半角)。鈴木則文監督『トラック野郎 男一匹桃次郎』は昭和52年(1977)12月24日公開。 
 回想には記憶違いも少なくないのであるが、ここは当事者の言を信ずるべきだろう。――しかし、本当にどのような展開にするつもりだったのか、知りたいものである。(以下続稿)

*1:11月15日追記】以下全て「鷹岡」となっていたのを「鷹丘」に訂正した。

*2:「打撃練習」と称しつつ山田が野手たちの守備練習のための打撃に徹したことに気付かずに文句を言い、がっかりして帰って行くのだが、文庫版⑤272頁2コマめ「おれたちの聞いてきたうわさとはまるで違うぜ」と言うのである。