瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

手塚治虫『ブラック・ジャック』(8)

 10月4日付(6)の続き。
 原作の館与理子は犯人のことを好きだった。角膜に焼き付いた青年の立ち姿から、恐らくそのように解釈して、映画の楯与理子は犯人の風間史郎と愛し合っていた設定にした。楯与理子は陶酔の中で絞殺されるので「殺される瞬間に見た光景」が「焼き付いた」りしないのである。しかし、原作の館与理子は好きだった相手に強姦されて殺されたのだから、遠くから見ていた青年の立ち姿に、犯罪被害者がPTSDで見るような「殺される瞬間に見た光景」が上書きされて「焼き付」きそうな理屈である。しかしそれではその「光景」を見せられることになった千晶が、青年のことを好きになるはずもない。そこが、辻褄が合わない。
 そこで映画は強姦殺人と云う設定を排除し、犯人に片想いであった原作の学生の館与理子を、犯人の風間史郎と激しく愛し合った、人妻の楯与理子に改めた。その愛の記憶の焼き付いた角膜を移植されたから、千晶は風間史郎を愛してしまうのである。

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 10月5日付(7)の補足。
 ブラック・ジャックを演じた宍戸錠(1933.12.6生)は公開当時43歳。漫画のブラック・ジャックを忠実に再現しようとしている。
 ピノコは子役で、エンディングにその姓名も、例の舌足らずな声を吹き替えた人の姓名も表示されたのだが、上映中にはメモを取れなかった。しかしネットで検索してもヒットしない。かなり似せてあったが、声などは人によっては抵抗があるかも知れない。

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 館与理子の角膜に青年の姿が焼き付いた理由を、10月3日付(5)の最後に注記したように推測出来るとするなら、それはやはり写真が手軽でなかった時代であったからであろう。フィルムで撮影して、現像とプリントを写真屋や、取り次いでいる街の煙草屋などに頼んでいた頃には、リベンジポルノなどは、あったとしてもごく限定的であったのである。そういう写真は店の方でプリントしない(プリントした上で破棄していたのかも知れないが)と言われていて、高校時代に短期間通わされた学習塾の、現役女子大生の講師が、旅行に行って宿で飲み会になって、その折に撮した写真の数がえらく少なかった、みたいな話をしていた。――どうも、酒が入ると脱いでしまう人だったらしいのである*1。それから露光不足の何が写っているか分からないような写真も、プリントされなかった。しかし、次第に褪色するとともに浮かび上がって来るので、やはりプリントしてもらいたかった。――笹藪の中の、石仏の写真なんだが。幾つか、間違ってプリントされた写真があって、初め何が写っているか分からなかったのだが、次第に褪色するとともに、あの中学時代、旧道を石仏や寺社を訪ねて歩いたときの、あの日陰の暗さが、ひやりとした空気とともにそのまま撮されていているような気がして、……今は何処も明るく、暑苦しくなってしまったように思うのである。そして写真が過剰に世間に溢れ、平易な加工技術によって真実を写しているのかどうか、分からなくなってしまった。
 それはともかく、――嘗て、写真と云うものは、どうしても人の目に触れる機会があったので、かなりの羞恥を伴うものだったのである。だから写真部は、少々いかがわしい目で見られていた。尤も、そういうことをやっていたなんて話も聞いたことがないのだけれども。(以下続稿)

*1:こんな話、すっかり忘れていたが、何故か急に思い出した。