5月25日付(1)の続き。
今回から取り上げる世田谷線については、4月26日付「Prosper Mérimée “La Vénus d’Ille”(23)」に触れたことがある。――何故調べたかと云うと、利用者だったからなのである。
・世田谷線(1)
私は2年間、通学定期で利用した。しかし、思い出があるのは自宅に近い世田谷区であり三軒茶屋であり、杉並区や下高井戸には結局馴染まなかった。下高井戸の京王線の、踏切番のいたワイヤーの踏切(昇開式)はよく覚えている。
ただ、定期券は下高井戸で買っていた。三軒茶屋で定期券を買うと、新玉川線での発券になり、自動改札なんて通さないのに磁気定期券になってしまうのである。下高井戸で買うと紙の定期券に黒印で大きく有効期限の年月日を捺してくれる。1度三軒茶屋で買って失敗(?)した私は、以後、世田谷線の回数券はやはり磁気を帯びない、11枚綴りの紙の回数券で有効期限がないので、長期休暇明けなどには回数券で通学して、下高井戸で翌日からの定期券を購入していたのである。
何れも緑色2両編成の70形と80形、そして150形が走行していて、私は暇な折には木の床の70形・80形をわざわざ待って乗っていた。しかし私の嫌っていた150形も含め、既に全て解体されてしまったそうだ。私は現在走行している車輌になってから、世田谷線に乗っていない。あの感覚を忘れたくないからだ。
しかしあれだけ愛しく思っていた記憶も漸く薄らいで来たかと思っていたところ、流石に鉄道は映像を記録している人が複数いて動画サイトに上げてくれているので、私を直ちに27年前へと拉し去ってくれた。――いつも歩いた道の(その当時、私でない誰かが撮した)映像を見ても、こうは思わない。何度か足を運んだ場所であれば尚更、この映像は私が見た光や影、感じた空気とは違うと、たとえ時期は同じであっても、思わされることだろう。しかし、2年間繰り返し乗った電車には、そのようなズレを感じない。何度も乗ってその時々のことを特に覚えていない、すなわち取り分けて印象深いこともなかった代わりに、他の人の記録にも違和感なく馴染むことが出来るのだ。―― 一度しか乗らなかった北海道の鉄道では、そうは行かない。
それはともかくとして、まづ、私の乗る何年か前の映像を見てみよう。私の馴染みの車輌で、大規模開発などもなかったから、車輌はもちろん駅も街並みも私の見たものに殆ど変わりないはずである。
・昭和61年(1986)
・昭和62年(1987)
・平成2年(1990)
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次回、盛夏に外出せずに家に籠もって過ごす折にでも、それぞれの動画について、私の記憶と摺り合わせなどして、コメントする予定である。
それから、同時期の世田谷線について、車内をもっと細かく撮した動画があるのだが、その紹介はその撮影者と動画群についての考察とともになされるべきだと思うので、今暫く保留することとしたい。(以下続稿)