昨日と同じく、これもダイアリーからブログへの移行に際して一通り目を通した下書き記事から。
「 蓮華温泉(1)」との仮題で、2011年8月13日の晩に登録・保存されてそのままになっていた。
その後の記事に書いたために重複してしまった事項もあるが、今はやはり全く手を加えずに挙げて置く。
全国怪談めぐり〈東日本編〉安達が原の鬼ばば (日本の怪奇ばなし)
- 作者: 木暮正夫,岡本順
- 出版社/メーカー: 岩崎書店
- 発売日: 1990/03
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログを見る
- 作者: 木暮正夫,岡本順
- 出版社/メーカー: 岩崎書店
- 発売日: 1995/01
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログを見る
* * * * * * * * * *
児童文学者の木暮正夫(1939.1.12~2007.1.10)は『日本の怪奇ばなし』という全10巻のシリーズ(岩崎書店。後に『日本の怪談』と改題)を刊行しているが、その第9巻『日本の怪奇ばなし9 全国怪談めぐり東日本編 安達が原の鬼ばば』(一九九〇年二月二八日第一刷発行・定価951円・岩崎書店・144p. 改題本『日本の怪談9 全国怪談スポット①』一九九五年二月十日第一刷発行・定価1456円も内容は同じ)の1篇「温泉宿の客のうしろに…… (長野)*1」が、「蓮華温泉」という固有名詞はボカされているがこの「蓮華温泉の怪話」なのである。冒頭を引いて置こう。
明治三十年(一八九七年)の晩秋のことである。
白馬岳(北安曇郡)の山ふところは、すでに紅葉もおえ、冬のおとずれをむかえようとしていた。この山ふところにいだかれて、一軒の温泉宿があった。お湯の量もゆたかで、景観にもめぐまれた温泉だが、交通の便がわるく、新潟県の糸魚川方面からはいるしかない。このため、ふだんでさえ客はすくなかった。まして、いまや晩秋である。
「もう客がくることもあるまい。雪がこいをして、そろそろ冬ごもりのしたくをせねばなるまいなあ……」*2
「新潟県の糸魚川方面からはいるしかない」とあるが、蓮華温泉はそもそも新潟県なので、長野だという意識で考えるから「はいるしかない」という書き方になってしまうのである。それにしても「交通の便」に注意しながら温泉の位置を「長野」としたのが少々不審である。それから「ふだんでさえ客はすくなかった」というのも、温泉巡りの観光客しか想定していないかのような、如何にも現代の常識で取って付けたような指摘である。当時の蓮華温泉の様子は1月11日付(05)に紹介して置いたが、決して寂れていた訳ではない。そもそもかつての温泉宿といえば、長く滞在する湯治客がその宿泊者の中心である。独白をさせるなら「もう客がくることもあるまい」と言わせるよりも、「客もみんな山を下りてしまった」と言わせた方が良かったと思う。
時期や家族構成などは一致し、細かい改変は別として、筋も主人が男を狐かと疑う件と末尾の男の述懐がない他は殆ど同じで『信濃怪奇伝説集』に直接取材しているように思われる。「あとがき」140~141頁の末尾に「執筆にあたっては……各地の民話資料集や郷土史関係資料、市町村史のほか、『日本伝説集』(高木敏雄・武蔵野書院)、『日本各地伝説集』(大木紅塔・国本出版社)などを参考にさせていただいた。」とあって、個々の書名を挙げていないので断言は出来ないが。
注目すべきは末尾の一文(122頁)である。
この話は、舞台が温泉宿であったり、山小屋であったりするが、いまも長野県の各地で語られている。*3
この「山小屋」と「各地」は「木曾の旅人」を念頭に置いたものではないか。
興味深いのは、「木曾の旅人」も「蓮華温泉の怪話」も「秋」のこととしているのに、阿刀田氏も加門氏も『現代民話考』も「雪」の晩としていることである。何かの残像が、話の内容をねじ曲げているのであろうか。しかし、木曾ならともかく、蓮華温泉はとても冬季営業できるような環境ではない。