・吉行淳之介『贋食物誌』(2)
昨日の続き。
和田氏との対談ではごく簡略になって、当初女学生を狙っていることになっていた件などが見当たらない。これは7月18日付「吉行淳之介『恐怖対談』(3)」に引いた、恐怖対談シリーズの担当編集者・横山正治「解説」にあったように、元の「速記録」の「分量」を「三分の一から四分の一」に「整理し」てしまうため、省かれてしまったのかも知れない。もしもう少し色々語っていたとすれば、ちょっと勿体ないように思う。
それはともかく、落語を聞いていると「鼻は崩れて穴だけになってしまう」病気は梅毒(瘡)だと思ってしまうのだが、吉行氏もこの点に引っ掛かったのか、和田氏との対談では「レプラ」ではなく「梅毒の末期かなにか」としていた。しかしながら、「ハンセン病制圧活動サイト Global Campaign for Leprosy Elimination」の「日本のハンセン病」の「ピープル/ハンセン病に向き合う人々 >」の 2015.12.25「遠藤 邦江(菊池恵楓園入所者)」インタビューを見るに、
先に入所していた兄は、その後、鹿児島(星塚敬愛園)に移って、いまは風見治っていうペンネームで通ってます。『鼻の周辺』という本を書いたりしました。よく小説などでハンセン病のことを書くときに、「鼻が崩れ落ちた」って表現をしているでしょう。兄はまさにそれだったんですよ。鼻がなくなってしまった。その体験をもとにした小説です。もうひとり、べつの兄は新聞社につとめていたんですが、うちの兄弟はどうもものを書くことが好きみたいですね。
との一節があって、ハンセン病(レプラ・癩)でも鼻が落ちてしまうことがあったようだ。
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生血を啜るとか、生胆を取るとか云うのに比べて、頰擦りとは随分おとなしいようだが、つい先日判決の出た「ハンセン病家族訴訟」を見ても分かる通り、当時のハンセン病に対する誤解と偏見に基づく差別を考えれば、それだけでも大変な恐怖であったろうとは思うのである。(以下続稿)
*1:2013年11月19日付(29)に引いた続く場面で、その姉の女学校の生徒が「女学校は一年と二年生の血を啜る」と云う噂で持ち切りだったと語っているが、癩には触れていない(恐らく同じだから記録しなかったものと思うが)。