多摩美術大学には2ch(5ch)に2001年6月16日夕方に立てられた単独の怪異談関係の掲示板「多摩美卒業制作で焼身自殺」があって、これについても一通り見て置くつもりなのですが、ここにも女子美術大学の名がちらほら出て来ます。
この掲示板は殆ど書き込みがないながら現在でも過去ログに落ちずに残っております。ところで、2001年11月21日朝書き込みの「26」番から2005年1月31日未明書き込みの「173」番の間、「27」番から「172」番までの書き込み日時とIDが「NG NG」となって表示されなくなっておりますが、この辺りはログ速「多摩美卒業制作で焼身自殺」にて確認出来ます。
まづ、2002年2月14日未明書き込みの「33」番が、
と類話として言及し、2004年1月30日午後書き込みの「136」番が別に、
と「中」は女子美術大学の「中」でしょうから卒業生か在校生でしょうか、そして2004年11月1日未明書き込みの「166」番が、
>136/でガイシュツですが、女子美の焼身自殺は有名。
夜中で、その炎が離れた住宅地からも見えたとか見えなかったとか。
ちなみに、杉並のほうですね。卒業生です。
古い学校だから、結構怖い噂残ってましたよ。
と、このスレッドにある多摩美術大学の類話のどれよりも具体的に書き込んでいました。
ここで注意されるのは「夜中」とあることです。前回引いた鶴川氏の記事にも「深夜」としていました。鶴川氏が載せている「朝日新聞」昭和61年(1986)1月27日朝刊の複写を見るに、冒頭「二十六日午後十一時四十分ご/ろ、‥‥」と書き出されております。
私はこの件は、多分鶴川氏の記事で知って、そのときは特に注目しなかったのですが、最近川奈まり子『実話怪談 出没地帯』で見たことで少し調べて見る気になったのですが、10月16日付「閉じ込められた女子学生(13)」に引用した箇所で、川奈氏は「先輩や同級生の中には、そのときたまたまキャンパスに居合わせて、人が燃える炎と煙や、その後の消火騒ぎなどを目撃してしまった者もあった」と書いていました。当時、川奈氏は高校3年生だったはずなので、私は高校3年生が3学期に学校にいたのだろうか、と云う疑問を抱いたのですが、内部進学が中心の付属高等学校では、或いはそんなこともあったかも知れない、と一応考えて見ました。
しかしながら、実際の事件は深夜に起こっていたのです。
10月20日付(1)に引いた、[mixi]のコミュニティ「女子美(4年制)」に2004年10月12日に立てられたトピック「6号棟に出るって話し」に2005年(推定)6月10日に書き込まれた[18]番が「屋上から火が見えたということで、大火事だと予想されたのか14台もの消防車が学校に横付けされました」と述べていたのは、真冬の深夜だったため炎が鮮明に見え「大火事」だと錯覚した周囲の住民から複数の通報があり、しかし警備員はいたかも知れませんが、対応すべき職員が残っていなかったために学校からの状況説明が受けられないまま、とにかく14台もの消防車を出動させてしまったのでしょう。そしてこのことが、普通は内々に処理されるはずの学生の自殺を新聞沙汰・週刊誌ダネにしてしまったのでした。10月19日付「閉じ込められた女子学生(16)」に引いた「6号棟に出るって話し」の[10]番が「火柱が10mも上がったとかなんとか」と書いていたのも、やはり深夜だから炎がはっきり見えたからなのでした。
もし、高校生がまだ校内にいる時間にこんな火災が起こったら、放課後としても「時計塔」の建物内部に学生・教職員がまだまだ残っていたはずですから、もっと目撃証言が上がっていても良さそうなものだ*1と思っていたのですが、実は深夜なのでした。いえ、曜日を調べると、昭和61年(1986)1月26日は日曜日なのです。杉並校舎に隣接した和田寮の寮生たち(学部生・短大生)は、就寝していてもこれほどの騒ぎですから、目を覚ましたり起こされたりして騒ぎの一端を目撃したことでしょう。しかし、制作中の大学生ならともかく高校生は深夜まで残れないでしょうし、日中であっても高校生は日曜には、まづ登校しません。――どうも、10月19日付「閉じ込められた女子学生(16)」の最後に触れたように、川奈氏は自身の30年近く前(初出時)の曖昧になってしまった記憶と、ネット掲示板・コミュニティの記述を頼りに、この辺りの事実関係を調べずに書いてしまったため、寮生たちの目撃証言を一般の通学生たちの証言と勘違いして、平日の日中に事件が起こったものと思い込んで、こんな風に書いてしまったらしいのです*2。
卒業生であることが、事実であることを保証する訳ではありません。むしろ、逆に作用することも有り得る訳です。とにかく回想は危ないと思って掛かった方が良い。――資料として扱う場合も、そして自分で書く場合にも。
ここは是非、川奈氏は当時のことを精査して、この事件について改めて「先輩や同級生」にも取材して、今度はむしろ一般人には想像の及ばない美術系女子大学の付属高等学校と云う環境の青春を主題にした自伝小説の形で、書いて欲しいと思うのです。(以下続稿)