瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

校舎屋上の焼身自殺(15)

・「週刊新潮」2月6日号(2)
 本文は5段組で1段は35行ですが広告や写真などで1段全て本文の段は殆どありません。36頁も右側12行分が5段抜きの「新潮カセット文庫/小林秀雄講演(全3巻)」の広告です。

 そして1〜3段めの6行めまでは前の記事の最後で、その次に3段抜き8行分のタイトル「凄惨な自殺を敢行した/「女子美大生」の才能」があります。
 まづ、2段め2行めまで1字下げでゴシック体のリード文があります。

ついに世界は開かれた」――女子美術大学(東京・杉並区和田)四年生の■■■子さん(二一)校舎の屋上で灯油をかぶり凄惨な焼身自殺を図った冒頭の言葉は自殺現場に残されていた自ら制作した油絵の上に書かれていたものである死をもって【1段め】んな世界を開こうとしたのか‥‥。


 これまで引用の省略を「‥‥」で示して来ましたが、この記事では上記のように「‥‥」を使用していますので、以下「・・」を代わりに用いることにします。年齢の漢数字は2桁めは右寄せ、1桁めは左寄せです。
 そして1行分空けて事件の概要が説明されます。

 一月二十六日の午後十一時三/十分ごろ「女子美の校舎の屋上/から火の手が上っている」とい/う通報が杉並消防署に入った。
「こりゃあ、大火事になる」
 と思ったのか、消防車十二台【2段め】が女子美の校舎を取り囲んだ。/が、火の手は間もなく消えた。/消防署員が校舎の屋上(二号館、四階建て)まで駆け上って/みると、黒いかたまりからまだ/煙が出ていた。慌てて消しとめ/たのだが、・・


 3段めの最後の2行は省略します。そして4〜5段め3行め*1

・・。そ/ばに石油ストーブのカートリッ/ジが転がっていて、二、三㍑の/灯油をかぶって焼身自殺したも/のと思われた。身元は思わぬと/ころから判明した。焼け焦げた/遺体のそばに、一㍍四方の大き/なカンバスが残されていて、そ/の裏に名前を書いた札が貼り付/けてあったのだ。その名前を手/掛りに連絡をとると、どうやら/焼身自殺したのは女子美大四年/生芸術学部絵画科油絵専攻)/の■■■子さんであることが分/ったという。身元は判明した/が、そのカンバスに描かれた絵/を見て消防署員も警察官も首を/傾げた。何か円い筒のような抽/象的物体が描かれていて、その/上に青っぽい絵具で「ついに世/界は開かれた」と書かれていた/のだ。絵具が乾き切っていない/ところを見ると、自殺する直前【4段め】に書いたものと思われる。いわ/ば、遺書である。何を語るつも/りだったのか。


 ここまでが記事の前半で、次に2行取り1字下げのゴシック体で「芸術的難解な死」との見出しがあって、節が分けられております。
 状況についてはこの後半の節にも記述がありますので、ここでは遺書について検討して置きましょう。
 2ch(5ch)のスレッド「大学にまつわる怖い話」に2004年6月4日に書き込まれた「77」番には「遺言書が残ってて「世界は開かれた」と書いてあったそうな」とありました。
 この遺書については、10月19日付「閉じ込められた女子学生(16)」に引いた、[mixi]のコミュニティ「女子美(4年制)」のトピック「6号棟に出るって話し」の2005年3月25日書き込みの[10]番には「遺書が壁に書いてあったとか聞いた」とありますが、2005年5月19日書き込みの[14]番に「絵と一緒に油をかぶって火をつけたけど絵だけは燃え残ったとかいう」とある、その絵に直接書かれていたのでした。
 文言については2005年6月9日書き込みの[17]番が、自殺者の友人と云うだけあって正確です(「抽象的な言葉は「ついに世界は開かれた」で」と云う書き方からすると、ログインしないと表示されないコメント[11][13][15]番辺りに、[10]番のコメントを受けて「抽象的な言葉」について言及があったのかも知れません)。
 この絵はどうなったのでしょうか。卒業制作にはならないまでも、大学で遺作として保管していてもおかしくはない――と思うのですけれども。(以下続稿)

*1:【11月11日追記】投稿時「4段め」とのみであったのを修正。引用文中、単なる改行位置「/」となっていたのも【4段め】と修正。