瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(67)

・末広昌雄「雪の夜の伝説」(3)
 それでは昨日の続きで「山と高原」第二三三号54〜56頁に掲載された「雪の夜の伝説」の本文を、既に見た、36年後に末広氏が「あしなか」第弐百弐拾四輯13〜17頁に寄稿した「山の伝説――古い山日記より」と比較しつつ確認して見ましょう*1
 54頁は前回紹介した題と著者名の入った写真に続いて、1段めにまづ3行取り1字下げでやや大きい明朝体で「山の宿の怪異」とあります。「あしなか」では、9月11日付(52)に見たように、同じ題「山の宿の怪異」に続いて13頁上段2〜5行め、「小泉八雲来日百年」に因んで「山中の雪の夜の伝説を綴ってみたい」と、新たに、副題にあるように「古い山日記」から興味深い話を掘り出して執筆したかのような前置きがあるのですが、これは「山と高原」にはなく、いきなり本題に入っています。以下、仮に8月7日付(26)に示した構成に従って話を進めます。
 まづ、【A】導入〜場所の説明。1段め2〜7行め、

 白馬岳の山ふところに抱かれる蓮華温/泉に残る妖異な話……。
 温泉とはいえど、茂る杉の林に囲まれ/てただ一軒の宿があるばかりである。湯/はこんこんとしてつきない。山峡の空気/は澄んでいる。しかし、不便なために浴/客は少ない。


 やはり昭和3年(1928)のサンデー毎日に掲載された白銀冴太郎「深夜の客」を末広氏は参照している、と云う前提で話を進めます。引用のうち太字にした箇所は「あしなか」との異同で、うち赤の太字にしたのはサンデー毎日に同じ(もしくは近い)箇所です。
 続いて、9月12日付(53)に検討した【B】導入〜時期の説明の箇所を見てみましょう。1段め9行め〜2段め4行め、

 それは明治確か廿五年であったかと/思うが、その年の暮もあと僅か二、三日/に迫った或る日のこと……
 さすがに山峡も冬仕度を終り、新雪も/過ぎ今や根雪と変り、日一日と雪が降/り積って行くのであった。それでも少数/の物好きな浴客がいたが、彼等も雪に【1段め】りかこまれない内に山を下ってしまい、今/は客一人も居ない本当にがらんとした寂し/い宿になっていたのである。宿も冬ごもり/の仕度に取りかかっていた。‥‥


 これが有り得ない設定であることは9月13日付(54)に縷説しましたが、ここで注意されるのは「あしなか」が「明治も、たしか二十五、六年であったかと思うが」とやや曖昧にしていた年を「明治の確か廿五年であったかと思うが」と、やや限定して書いていたことです。(以下続稿)

*1:比較に際して「あしなか」掲載の本文について、「仕度」を「支度」とするなどの入力ミスが多々見付かりました。この機会に訂正して置きます。但し修正箇所は一々注記しませんでした。