瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

TRUE CRIME JAPAN『情痴殺人事件』(4)

 12月7日付(2)に引いた「あとがき」にも「ギリギリで校了」とあったように、校正が十分でないようで、誤植が散見される。当時はワープロからPCのワープロソフトへと転換する時期だったと思うが、原稿は入力データで入稿したのか、それとも印刷して入稿したのか、それとも手書きだったのか。それはともかく、疑問箇所を列挙して置こう。第4章が必要(?)で借りたのだが、この事件を怪談と絡めて記述するには用意が足りないので、精読するに至っていない。第1章と第3章を読んだが当初は何か用事の暇に拾い読みしていたのでメモも取っていなかった。細かく見ればもっといろいろあるかも知れない。――だから中途半端なメモなのだけれども、ある程度の量になったし、今、打ち込んで置かなければ今後どうもしないと思うので、上げて置くことにした。
・38頁14行め「栃木県王生町」は「栃木県壬生町」。
・44頁13行め「二年生の昼休み、敦子さんは正を実家に連れてきて、‥‥」どれだけ長い昼休みなんだ。――「夏休み」の誤植であろう。原稿はやはり手書きか。
・49頁5行め「安部晋太郎通産大臣」8行め「安部通産大臣」は、安倍晋太郎(1924.4.29〜1991.5.15)。
・50頁18行め〜51頁2行め「‥‥、「今日は、彼とドライブがてら食事にゆくの」とう/れしそうに話し、そくそくと帰宅の準備をしてい/たという。」とあるが「そくそくと」は「そそくさと」の方が良いのでは?
・58頁7〜8行め「正は八二年の十二月二十七日から翌年八三年の一月一日まで、今治市松山市のホテルに/泊って」とあるが、60頁3行め「今治市から松山市にいた七三年の正月」とあり、61頁12行め「五十八年一月五日と六日に」とあって、西暦下2桁で書いたかと思うと2頁後では換算を間違え、そしてその次の頁では昭和で書いている。
・121頁12行め「スナックにに遊びに」衍字。
・124頁10行め「六七年ごろになると」と段落の頭にあるが、15行めの段落末には「一九六二年が明けたばかりであった。」とある。どうもこの「一九六二年」は「一九七二年」らしい。
・125頁7行め「気持ちだったたようだ。」衍字。
・133頁11〜12行め「うれしかったののであろ/う。」衍字。
・136頁12行め「克美は」13行め「克美は」はどちらか1つで良い。
・235頁8行め「見るそともなく、そそくさと」の「そと」は「こと」の誤り。
 それにしても、全ての事件に於いて男の身勝手さが目立つ。――ここまでして置いて、女に「結婚を迫られ」るのは当然だろう。そこを聞き分けてもらえると思っているのなら、余りにも都合が良すぎる。
 克美しげる(1937.12.25〜2013.2.27)は、晩年、4度めの結婚相手に世話されながら暮らしている様子をニュース番組の特集か何かで見たことがあるが、「犯罪ノンフィクション」である本書を読むに、そんな呑気な話じゃあない、148頁、山嵜氏の取材に応じた「八十をとうに超えた」被害者の父親が「あいつはうそつきだし、‥‥ろくなもんじゃあない」と「事件から二十年がたった現在でも」怒りを露わに「絶対に、和解などしないといい切」ったのも無理もない、と思わせるほど被害者に酷い仕打ちを重ねていた。死人に口なしだから、被害者の父親の言う通り、殺害に至るまでの経緯や、殺害の状況も克美氏の言う通りだったのか、甚だ疑問である。129頁に記述されている、克美氏の「高利貸」の「虚構」は、これが「破綻した時」に破局を迎えるしかないような種類のもので、この「うそ」を思い付いた時点で克美氏は被害者を「殺害」するよりないところに自らを追い込んでいた、ことになっていたはずである。――「計画性」とは云えないのかも知れないが、私には、どう違うのか分からないのである。後戻り出来ないほどの悪を積み重ねても、強く意識せずにいれば――悪気を感じないような無神経であれば、それが情状酌量の理由になるとは。むしろそっちの方が厄介ではないか。
 だから私は本書の女性たちに深く同情するものであるが、しかし男性たちにも少し同情するところがあって、私はそっちの方が旺盛でないので、だから毎日こんなブログの更新が出来ているのだけれども、仮にそういう存在が出来たとしても、繋ぎ止めるだけの経済力も精力も安心感もないから、まぁそんな気にはそもそもならないのだが、旺盛な人はそれが満たされないとさぞかし苦しいのだろう、と思うのである。
 本書については、多摩美術大学の怪談について再説するときに、再度取り上げることになろう。(以下続稿)