瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

卒業式の思ひ出(2)

 昨日の続き。
 一旦書き終えてしまってからフィギュアスケート選手のことを書き足したのだが、どうも据りが悪いので削除して改めて投稿し直そうかと思ったのだが、今更加筆前の状態に戻すのも面倒なのでそのままにして置く。
 先日、平日の昼に勤務先の近所を歩いていたら、昼休みに練習しているのであろう、小学校の体育館から合唱の声が聞こえて来た。よく声が出ていて、道路に面している訳でもないのに歌詞が明瞭に聞き取れた。それで、卒業式の予行なんだなと、しみじみ思ったのである。
 卒業式と云うと合唱が付き物であるが、私の中学の卒業式では「大地讃頌」を歌った。しかし何でこの歌を歌わされるのか、よく分からなかった。「螢の光」か「仰げば尊し」で良いじゃないか、と思ったのである。しかし教師をやってみて全然「尊し」じゃあないな、と思ったのだけれども。――「大地讃頌」は相当練習しないと、女声の高音・低音、男声の高音・低音をきちんと合わせられないので、随分練習したように思う。だから今でも旋律を覚えていて、頭の中にあの頃の合唱・伴奏の音声も再生出来るくらいなのだけれども、歌詞の世界にどうも馴染み難いものを感じたのである。
 長く勤めた女子高では「旅立ちの日に」であった。

「旅立ちの日に」の奇蹟 ~いくつもの”卒業”を経て、今響く歌声~

「旅立ちの日に」の奇蹟 ~いくつもの”卒業”を経て、今響く歌声~

 既に答辞を聞いて泣いていた生徒が、歌っているうちにまた感極まって嗚咽するのである。
 女子高では大講堂で卒業式をやって、私ら講師は卒業生たちとともに退出する。いや、一緒に出る訳ではないのだけれども、教室に戻る卒業生が詰まり気味なので後から退出しても、追い付いてしまうのである。そこで担当していた生徒に会うと、授業ではツンケンしていたのがぼろぼろ涙を零していて、あんなに詰まらなさそうに授業を受けて成績も(国語に限らず全般に)良くはなかったのに、そんなに悲しいのか、いや、悲しいのではなくて色々な感情があって、それは私には分からないけれども、とにかく彼女なりの思いはあるのだなぁ、と思うと、こちらも十分なことが出来ただろうか、など、何だか考えさせられるのであった。
 1度、大講堂の改修工事のために校内で卒業式が出来なくなり、区の公会堂を借りてやったことがある。
 女子高の卒業式は講師の出席率が高くて、それはPTAから弁当が出るからなのである。もちろん、2017年8月14日付「幸田文『おとうと』(1)」に述べたように、講師としては全ての年度内の業務が終了して*1、当時は雇止めもなかったから皆来年度の勤務も決まっていて、本当にくつろいだ気分で卒業生を送ることが出来たことも大きいのだけれども。まづ事務室で弁当を受け取って、講師室で玄米茶を淹れて食べて、それから頃合いを見計らって三々五々大講堂へ移動する。非常勤講師は授業以外に業務はないから、卒業式では保護者と同じようにしていれば良い。
 公会堂でやったときは、現地集合で、それから学校に戻って弁当をもらったように思う。
 公会堂は駅の近くなんだけれども、学校の最寄駅には別の鉄道会社に乗り継がないといけない。しかも遠回りになるので歩くよりも若干早い程度にしかならない。それで、卒業生も在校生も、そして殆どの教職員も、明治時代に開通した新道を何のかのと話しながら延々30分以上掛けて歩いて、学校に戻ったのである。私個人では何度も歩いたことのある道だけれども、そんなに同僚や生徒たちと歩いたことが他にないから、何だか妙に印象に残っている。
 さて、公会堂での卒業式そのもので印象に残っているのは、グランドピアノを在校生が演奏したことであった。「旅立ちの日に」や校歌の伴奏は音楽教諭だったかも知れないが、もう覚えていない。覚えているのは、卒業生退場の際に、眼鏡を掛けた(と記憶する)在校生が、Chopin の Etude Op.10 No.3(別れの曲)を演奏して、もちろん1曲終わるまでには退出し切らないから、曲が終わりそうになるとまた最初に戻って、途切れることなく何周か弾き続けたのである。あの難しそうな中間部を何度も繰り返していた訳で、流石女子高だと感心したのだった。
 翌年の卒業式は大講堂で、グランドピアノの準備もなく音楽は全てCDプレイヤーで流していた。卒業生の退場にはやはり(別れの曲)を流したが、曲が終わるたびに一旦途切れて戻るので、どうも興醒めなのであった。操作を担当していたのは初老の女性体育教諭だったのだが、卒業生が退出してしまったのを認めるや、曲の途中で「ぼつっ」と切ってしまったのである。――余韻も何もあったものではなかった。
 卒業式の音楽、それ以前はどうしていたのか、それはどうも思い出せない。とにかく公会堂のグランドピアノ、こればかりが強く印象に残っているのである。(以下続稿)

*1:成績や欠席時間数に間違いがあって終業式の日に通知表を見た生徒から指摘があって呼び出されることもある。だから講師は午前中、別に学校から言われている訳ではないが自宅待機である。私も一度呼び出しを喰らい、それは保健室に行っていて古典の授業を欠席したことを、生徒が忘れていただけだったのだが、以来、念のため終業式の日には講師室で待機することにした。ところが若い世代には勤務1年めに、年度末の段取りについて特にこちらに聞きもせず、成績を出し終えて早々に海外旅行に出掛けてしまった人がいて、凄いなぁと感心したのである。私はおっかなくてそんなこと出来なかった。