私は中学時代を横浜市で過ごしたので、横浜には何となく愛着があって、今の職場に移ってからは遠のいてしまったが、以前は年に何回か、横浜開港資料館や金沢文庫の企画展を見に出掛けていたのである。そして今でも、2016年2月23日付「松葉杖・セーラー服・お面・鬘(15)」にも述べたように当時の行動範囲だった、横浜市域から三浦半島に掛けてを扱った本を見ると、手に取ってしまう。
・上製本(昭和四十二年十月一日 印刷/昭和四十二年十月十日 発行・定価六百円・有隣堂・254+13+4頁・B6判)
以前から某区立図書館に上製本があることは知っていた。
・並製本(昭和四十八年四月一日印刷/昭和四十八年四月十日発行(第三版)・定価七百円・有隣堂・254+13+4頁・B6判)
ところが確定申告のついでに立ち寄った某市立図書館で並製本を見たのである。
上製本は黒の布装で角背、くすんでしまったが金文字で上部にやや横長の明朝体太字で大きく標題、下部にやや小さく「読売新聞横浜支局編」とあって、他に表紙に文字はない。それが並製本はカバーと本体表紙は共通で白地に、表紙折返しの右(0.7cm)から表紙・背表紙・裏表紙を経て裏表紙折返しの左(0.8cm)まで、クレヨンで縦塗りを基調にして塗りつぶそうとして、かなり隙間が残ったような按配の橙色(一定しないが上下幅は16cmくらい、上に1.5cm、下に1cm程度の余白)が重なり、これにさらに重ねて、上下幅13.3cmの冬枯れの蓮池を写した白黒写真が表紙折返しの右(0.7cm)から表紙・背表紙を経て裏表紙(左から9.4cm)に及んでいる。そして表紙の文字は横組みで、上部の余白の中央にやや縦長のゴシック体で標題、下部の余白の右寄りに明朝体で小さく「有隣堂発行」とある。背表紙は橙色のクレヨンを消しで写真の上下が白地、上部に橙色のやや縦長の明朝体太字で標題、「神奈」までが余白で「川の伝説」は写真に重なる。下部ややや小さい橙色の明朝体太字で「読売新聞横浜支局編」とあって「局編」が余白。最下部にごく小さいゴシック体横並びで「有隣堂」とある。裏表紙は下部の余白の左寄りに明朝体で小さく「定価 700」とある。折返しは殆ど余白で文字はない。
見返しは同じ。淡い灰色の紙に、それぞれ見開きで江戸時代後期の本から伝説の舞台や事件の模様を描いた挿絵を濃い灰色で刷っている。
出典については、口絵も含め12頁ある前付(頁付なし)の7~12頁に当たる「目次」の、1頁め6行めに「みかえし 」として、7行めに掛けて、
「観福寺」 武相叢書第二編 金 川 砂 子
「曾我兄弟敵討」 東海道名所図絵巻之五
と示してある。
すなわち、表紙見返しは煙管亭喜荘『金川砂子』25丁裏・26丁表の見開図「觀福寺」を平田敬一郎所蔵本を底本とした、石野瑛 校、武相叢書第二編『金川砂子附神奈川史要』(昭和五年三月廿五日印刷・昭和五年四月 一 日發行・金貮圓貮拾錢・武相考古會・四+五+二〇八+三九頁)五〇~五一頁から取っている。
裏表紙見返しは龝里籬嶌『東海道名所圖會』巻之五の十七丁裏から十八丁表の「其三/曾我/兄弟/敵討」見開図の殆ど全部を取っているが、絵の題が十七丁裏(右頁)の上右にあったのを下部中央やや左の余白に移している。ちなみに、十六丁裏から十七丁表が「其二/不二の/巻狩*1」図、十五丁裏から十六丁裏見開きの其一に当たる図は長い詞書があって巻狩に向う源頼朝一行を描いたものと分かる。(以下続稿)
*1:振仮名「ふじ/まきがり」。