瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

田口道子『東京青山1940』(1)

『東京青山1940 陽が落ちても朝はくる二〇〇二年五月二十五日 第一刷 発行・定価1,600円・岳陽舎・285頁・A5判並製本

東京青山1940―陽が落ちても朝はくる

東京青山1940―陽が落ちても朝はくる

 カバー表紙、左上に95頁上段の写真の現物、中央に「35」頁「日一十二月一」と、「34」頁「日十二月一」を広げた状態の写真、文字はかろうじて読める程度。
 カバー折返し、上部に横組みで「記日年青/2600」とある赤い表紙の冊子を、裏表紙折返し・表紙折返しに分割して載せ、中央揃えの文字も丁度二分されている。丸背の背は右、表紙折返しにあり、裏表紙折返し側に小口。この裏表紙折返しの赤表紙の下部にゴシック体白抜き横組みで、

田口道子 Michiko Taguchi
1932年 東京生まれ。
1954年 慶應義塾大学文学|部卒業後出版/社に勤務し、書籍、|雑誌の編集に携わる。/結婚、出|産のため退職後フリーの編集者、/|ライターとして仕事をつづける。
1983年 企画編集会社(株)|サンルームを/設立、代表となる。|現在、サンルームの/仕事のかた|わら小説、エッセイを執筆中。/|三田文学会会員。

とある。奥付の上部に明朝体縦組み(名前は太字)で同文、アルファベットは横転、数字は漢数字に、改行位置を「|」で示した。
 表紙及び裏表紙見返しは橙色のエンボス加工されたやや厚い紙に、同じ地図のそれぞれ一部が印刷されている。表紙見返しには主に赤坂区山北町、裏表紙見返しには主に青山南町が載る。大通りに面した商店等は住宅地図並に、ほぼ切れ目なく商店名が記入されているが、住宅地は大きな家に限っているようだ。
 表紙見返しの上欄外にイロハ、左欄外に漢数字で検索用の片仮名・数字が入っており、上欄外は「 ネ | ツ | ソ | レ | タ | ヨ | カ | ワ | ヲ | ル」と読めるから切れている右にさらに「|ヌ|リ|チ|ト|ヘ|ホ|ニ|ハ|ロ|イ」が存したはずで、これは大判の地図の上部の左半分、すなわちもとの地図が赤坂区の全図だったことが察せられる。左上「區谷澁」の区域は余白になっており、11件の広告が載る。左欄外の漢数字は「一」から「七」の半分まで。
 裏表紙見返し、左欄外の漢数字は「八」から「十四」まで、さらに表紙見返しでは切れていた子持枠の左も若干入っており、出版社の住所や「昭和十一年八月二十三日印刷」の文字が読める。下欄外にも検索用の片仮名が並んでいるものと思うがそこは切れている。左下の狭い余白に広告1件。すなわち、南北は「十四」に分けられ「七」の下半分が切れていることになる。
 ついで見返しと同じエンボス加工の白紙に、カバー表紙と同じ標題や著者名・版元名が赤で刷られている。版元名以外は縮小されており、標題はやや下、版元名はやや上、そして著者名は標題の下に移動している。
 1頁(頁付なし)「目 次」の扉。
 2~8頁(頁付なし)、ゴシック体で章題は大きく、細かく分けられた節は1行に大体2節ずつ、半角分空けて算用数字で頁を添える。
 9頁(頁付なし)中扉。
 10~17頁「プロローグ」には扉はなく、280~281頁「エピローグ」282~283頁「あとがき」も同様である。
 19頁(頁付なし)「第一章 時代の風のなかで」扉、20~65頁本文。
 67頁(頁付なし)「第二章 昭和戦前「青山」の街・人・暮らし」扉、68~145頁本文。
 147頁(頁付なし)「第三章 国ごと破滅までのエネルギー」扉、148~212頁本文。
 213頁(頁付なし)「第四章 新しい時代が開く前に*1」扉、214~279頁本文。
 284頁「〈参考文献〉(順不同)
 285頁「〈写真・資料協力〉(順不同 敬称略 カッコ内は掲載ページ)」そして「青南小学校33回卒業」3名と「青南小学校36回卒業」22名。(以下続稿)

*1:ルビ「あ」。