瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

松本清張『砂の器』(09)

 昨日の続き。
 本作のシナリオが、映画公開の5年前のシナリオ作家協会 編『年鑑代表シナリオ集 一九六八年版』に掲載されているのは、1968年度のシナリオ賞の「特別賞」に選ばれたからだった。これは「同年度の公刊雑誌などに発表された未映画化シナリオの中から」選出されるもので、424~425頁「雑誌掲載シナリオ一覧 〈日本映画」を見るに雑誌別に80作の脚本が列挙されている。すなわち、424頁上段~下段1行め「『シナリオシナリオ作家協会」に31本(うちTV5本、旧作2本)、424頁下段2行め~425頁上段25行め「『キネマ旬報キネマ旬報社」25本、上段26行め~中段14行め「『映画芸術』 映画芸術社」8本(うち1本戯曲)、中段15行め~下段15行め「『映画評論』 映画出版社」16本、下段16行め下寄せで小さく「<外国作品を除いた>」との注記があるが、どれが「未映画化シナリオ」なのか、注記や符号などは付されていない。本作は『キネマ旬報』の24本め、425頁上段22~23行めに、

    (四八六号)
砂の器 橋本忍山田洋次

と見える。「キネマ旬報」1969年1月上旬号(新年特別号)である。そうすると「同年度の公刊雑誌」と云うのは昭和43年(1969)1月から12月までに発売されたもののようだ。ネットで画像検索するに、表紙の左下に6行、内容を摘記した最後に「‥‥■シナリオ「砂の/器」橋本忍山田洋次」と見えている。同誌の目次を国立国会図書館サーチ(及び国立国会図書館デジタルコレクション)にて検索するに「シナリオ 砂の器 / 橋本忍 ; 山田洋次 / 109~134 (0056.jp2)」とヒットするが「国立国会図書館限定」公開なので閲覧は出来ない。
 本書には最後、シナリオ本文は406頁上段10行めまでで、続いて「一発マクリ」と題する橋本氏のエッセイが丁度406頁の残りを埋める(下段24行めまで、余白4行分)埋め草風に入っているが、このエッセイは国立国会図書館サーチ(及び国立国会図書館デジタルコレクション)ではヒットしない。本書収録の他の作品にはこのような文章は付いていない。或いは本書収録に際し、未映画化作品であることを考慮してシナリオ編集部が要求して書かせたのか、とも考えたのだが、2016年4月28日付「松本清張『鬼畜』(3)」以降映画『鬼畜』の解釈について参照した西村雄一郎『清張映画にかけた男たち 『張込み』から『砂の器』へを見るに、177〜313頁「第二部 『砂の器』、そして『黒地の絵』」210~268頁「第二章 それぞれの旅立ち」227~258頁「橋本忍の場合」の節、4項め、234~237頁2行め「人形浄瑠璃からの発想」の冒頭、234頁2~3行め、

 橋本は「一発マクリ」という見出しを付け、自分の好きな競輪に例えながら、『砂の器』の/シナリオの特徴をこう説明している。

として4~11行め、1字下げ前後1行空けで引用しているのだが、これは本書406頁下段7~21行めとほぼ一致する*1。西村氏の引用ではその最後、11行め本文末から離れて下詰めで「(「キネマ旬報」一九六九年一月特別号)」とあって、国立国会図書館サーチ(及び国立国会図書館デジタルコレクション)の目次には採られていないけれども、初出に既に付されていたのであった。(以下続稿)

*1:異同は406頁下段7行め、段落の冒頭「ただ、」を省略したことと、16行め「‥‥/確然と違っている。スタートはどんジリ、気/‥‥」が西村氏の引用では8行め「‥‥画然と違っている。スタートはどんジリ。気‥‥/」となっていることである。