瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

東京RADIO CLUB「東京ミステリー」(5)

 昨日の続きで、TBSラジオ東京RADIO CLUB 編『東京ミステリーとっておきの怖い話』二見WAi WAi文庫)について。
 さて、第一章「理不尽にも開かれた冥界への扉」には「目次」の6頁3~12行めに10題挙がっているが、昨日一昨日のペースで粗筋を述べて検討して行ってはいつ終わるか分からないので、以下は各章から幾つか取り上げて見ることとする。
・第二章 血も凍らせる怨霊たちの呻き(1)
 「目次」の7頁1~11行め、章題*1に続いてこれも10題。
 49頁(頁付なし)がこの章の扉*2
【11】胆だめしはオレが許さない―――N・Kさん(十六歳) 50~53頁
 冒頭「私が小学六年生の夏の出来事」とあって、前回見当を付けたように投稿者の年齢が書籍刊行時ではなく放送当時、平成4年(1992)夏のものとすれば、16歳の投稿者は高校1年生か2年生、小学6年生は4年前か5年前、昭和62年(1987)か昭和63年(1988)のこととなる。50頁3~5行め、

 友達十六人が集まって胆だめしをやろうということになりました。多摩川の集合場所か/ら出発して、K高校の裏庭を通って、またもとの場所に帰ってくるという、三十分ほどの/コースです。


 これで話の舞台が多摩川に近い「K高校」だと分かるが、30年経って高校も統廃合などがあり、候補を絞り込むのはなかなか難しそうだ。
 そこで記述を見て行くと、「遊園地のお化け屋敷にも入りたくないほどの怖がりの」体験者が「大好きなI君とペアになれたので、我慢して参加することにしたの」は、胆だめしの間中、I君と「ふたりっきり」になれるからで「多摩川の土手をふたり並んでゆっくり歩」いているうちに「メインのK高校の裏庭に着」く、と云うのだから、多摩川でも下流部、東急東横線・調布取水堰より下流と云うことはなさそうだ。
 谷謙二(埼玉大学教育学部人文地理学研究室)の「時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」」にて、念のため河口から遡りつつ条件に合いそうな高校を探して見るに、それらしいのは1校――東京都立狛江高等学校くらいである。しかし、実は「K」ではないのかも知れず、そして「K高校」だったとして本当にこんなことがあったのかどうか、分からない。
 さて、体験談の方は「草かげ」からする「ガサガサ」と云う音を確かめにI君が草むらに入り投稿者が1人になったところ、後ろから「何してるの?」と声を掛けられる。振り返ると「背の高い、眼鏡を掛けた真面目そうな高校生らしき人が立ってい」る。「胆だめしをやってるんです」と答えると「その男の人は怒ったような」「怖い声で」2度「早く帰りなさい」と「命令」する【50~51】。「すると、目の前にいた男の人がふっといなくなり」吃驚して周囲を「見まわすと、ついさっきまでここにいた」のに「四階建ての校舎の上に立っている」。52頁5~10行め、

 あっけにとられ、呆然としていると、その人は、いきなりその校舎の上から飛び降りま/した。
 私は、真っ青になり、歯がガチガチと音をたてて鳴りました。足がすくんで一歩も動け/ません。
 そして、地面に倒れていたその人がゆっくりと起き上がり、私に向かってくるのを見た/ときは、そのまま倒れてしまいそうでした。

 
 近付いて来る男に「もうだめだ、と思」ったところで、「もう、胆だめしはしないから、助けてください! 助けて、たすけてぇ !! 」と叫び続けると、53頁3~6行め、

「もう、ここで胆だめしはするな。オレが許さない」
 といって、すっと消えてしまったのです。」
 どのくらい時間が経ったでしょう。私が泣きじゃくっていると、I君が戻ってきまし/た。その顔も真っ青です。

と、漸くなかなか戻って来なかった連れに再会する。
 そこで「泣きながら、私の身に起こったことを彼に訴え」ると「彼もおなじ目にあって」おり「その証拠に、彼の手には真っ赤な血がついてい」た。この「私たちふたりの体験は、もちろん胆だめしに参加していた友達を震え上がらせ」たと云うのだが、しかし1組ずつ往復30分のコースを擦れ違わないよう一々変えたりしないだろうから、1組ずつ交替で出発させたとすると8組で4時間掛かる勘定になる。小学生なんだからそんな悠長な時間の使い方はしないはずで、ある程度の時差で次々出発したろうと思うのだ*3。先発の組が戻ってくるところに会ったり、次の組に追い付かれたりしなかったのだろうか。いや、体験者の組が1組めだったのだろう、多分。そして、そのまま中止だな、きっと。
 この話は結末で、怪異の理由が説明されている。53頁12~15行め、

・・‥/そして、その後、K高校で昔起こった不幸な事件の話を聞かされたのです。K高校にはと/ても真面目で頭のいい生徒がいたのですが、ある日を境に執拗ないじめにあい、校舎から/飛び降り自殺をしてしまったということでした。
 私たちふたりが会った男の人は、その生徒にちがいありません。

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 さて、[mixi]のコミュニティ「狛江高校」に2005年2月16日に立てられたトピック「七不思議」は、同年7月28日書込みの[35]番で一旦途切れ、2006年6月12日書込みの[36]番が再開させて18日書込みの[51]番まで続いております。
 この中で話題になっている怪異は主として2点、1点めはカーテンを引いて帰る習慣の原因として語られる怪異で、5階の端の部屋から飛び降り自殺があったと云うのです。この話題は[1]番以来盛り上がっていましたが、[43]番がカーテンは創立当初からの習慣であった、すなわち自殺とは無関係であると書き込んで決着を見て(?)います。何かあるのでは? と思わせるほどしつこく注意されていたのでしょうか。但し、4階建ての屋上から(恐らく実際の自殺の再現として)飛び降りているこの「K高校」の話とは、微妙に異なります。尤も投稿者がその後狛江高校を避け、進学もしなかったとすれば、細かいところに記憶違いが生じるのは仕方がないことでしょう。
 それからもう1点は[36]番が書き込んだプール(旧)で「見える」と云う怪異で、水泳部員の証言を求めたところ、早速[37]番に元水泳部員から「あってます」との返信がありました。これに対して[36]番が返信した[40]番の書込みに、

そういえば、在学時ラジオ放送で「T川のK高校」の怖い話として、どこぞのラジオで放送されたと言う話し聴いたぞぉ~

とあるのが、どうも[36]番が3年生のときの「岸谷五朗の東京RADIO CLUB」らしく思われるのです。文脈からするとプール(水泳部)の話のように読めるのですが、時期の一致から飛び降りに絡んだ話の方と([36]番が放送を聞いたわけではないので)見て置きたいのです。まぁ、そもそもが事実無根の創作の可能性もあるのですが。いえ「K高校」ではないかも知れない訳で。
 都立狛江高校多摩川縁にあり、最寄駅は小田急和泉多摩川駅です。(以下続稿)

*1:ルビ「うめ」

*2:ルビ「うめ」

*3:そうしたとしても相当あったはずの待ち時間に、残りの連中は何をしていたのかが気になるのだけれども。携帯電話なんか誰も持っていなかった時代で、携帯出来る光源は懐中電灯くらいなものだった。