瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(196)

田辺聖子『私の大阪八景』(15) タヌキ先生
 昨日の続きで、河合隼雄対談集『あなたが子どもだったころ』の四六判並製本光村図書出版)と四六判上製本(楡出版)の、田辺氏との対談から、小学4年生時の回想を抜いて置こう。
 1節め「人生のいちばん初めのレッスン」の、40頁上段2行め~42頁下段12行め、

田辺 小ちゃなときの体験っていうのは、書/きつつある連載とダブりますけど、悪いこと/ばっかりしてた記憶がある(笑)。それが人/生のいちばん初めの授業というか、レッスン/なんですね。悪いことを小ちゃなときにさん/ざんしてるから今しない、危うくしないん/じゃないか、そんなんがあるんですね。
河合 その悪いことというのは、例えば?
田辺 母に嘘ついてね……。昔の小学校は一/年にいっぺん大掛かりなテストがあって、そ/の成績の結果を綴じて、各家庭に回すんです。/ずいぶん残酷でしょう(笑)。ここ一番とい/うところで実力が出る人もあるけど、私はな/ぜか出ないんです(笑)。みんなが見てると/走れなかったり、歌えなかったり、ふだんは/ええ声が出るのに、試験のときにかぎって声【40上】が上ずって裏返るの(笑)。
河合 それは何年生のときでした?
田辺 小学校四年生。でも、それは、なぜか/ほんとに自分っぽいっていうか、ドジやなと/思うんですね。そのテストのときだって、成/績がうちへ回されるので、悪い成績を取ると/教育ママの母にチメチメされるとわかってる。/だけど、そういうときにかぎってできないの。/担任の先生というのが皮肉な先生で、テスト/の後で「田辺六十点」といってニヤッと笑う/んですね。もちろん百点満点。私、それを聞/いたとき、どうしょうかと思った。それから/もう毎日が地獄の苦しみ。成績がうちへ回っ/てくるんですもの。でも、頭文字の「い」か/ら回し始めるから、「た」までなかなかこな/い。その間に、母が、「今度の成績どうだっ/た。もう回ってるの」と一生懸命に聞くの。【40下】「知らん。まだ聞いてない」。嘘ついてるわ/けですよ。私ね、人生において嘘の何たるか/をしみじみわかったわけ(笑)。それでも嘘/つかないとしょうがない。
河合 そうそう。
田辺 いったん嘘ついたら、もうずっとつか/ないといけないでしょう。
河合 しかし、ついに運命の日がくる(笑)。
田辺 そうなの。男女共学だったから、私の/前の田中だったと思うんだけど、その男の子/が、「田辺、試験やで」というてうちに置い/てくの。私はその声を聞くなり家を飛び出し/て、天神さんとか原っぱへ行って遊び回って/た(笑)。
河合 家へはなかなか帰れない。
田辺 そう。でも、大人と違うから、永久に/帰らないわけにもいかなくて。まさか、失踪【41下】もできません(笑)。それで、夜、暗くなっ/て、こっそりと家へ帰った。母と祖母が晩ご/飯を食べてました。なんにも知らない祖母が、/「あら、この子、どこまで行ってたんや。今/ごろ帰ってきて、早よご飯食べないな」なん/ていうの。チラッと母を見たら、全然ものを/いわない。いつもやったら、「遅までほっつ/き歩いて」といって怒るのにね。見たんだ!/母は見たんだと、そこではっきり思うわけで/すね。
河合 もう居ても立ってもいられない(笑)。
田辺 そうなんだろうけれど、そこからすぐ/後の記憶がポカッとなくて、次にあるのは、/二階で母に膝詰めで叱られている記憶なの。/それこそ叱られて、叱られて……。母はね、/成績の悪いのもやけれど、黙ってたというこ/とを叱るのね。こんなに回ってるのにわから【42上】んはずがない。なんで今まで黙ってた、とい/うんですよ(笑)。チメチメされるどころか/ほんとに叱られて大騒ぎになっちゃった。で/もね、母が叱っている間、父がどうしてたの/か記憶にない。その代わり、おばあちゃんと/かおじいちゃんとかがのぞきにきたぐらいな/の。それに、一年じゅう居間から出たことの/ない曾祖母がエッチラオッチラ息を切らして/二階に上がってきて、「まだ小ちゃいんやか/ら」といったのを覚えてます。すごくすごく/叱られて、それがもう嘘のつき始めというこ/とかしら。嘘は幾らもついたのね(笑)。


 これは田辺聖子全集』別巻1の479~521頁、浦西和彦 監修「初出一覧」を参照するに、512頁下段~520頁下段「対談」に514頁下段13~17行め、

河合隼雄
 ①「人生のけじめを体得している人」「(季刊飛ぶ教室」第14/ 号、昭和60年5月1日)
 ②「対談 古事記〈新釈・日本の物語11〉」(「創造の世界」第/ 84号、平成4年11月1日)

とあって、前回推測した通り昭和60年(1985)5月刊行の「飛ぶ教室」第14号に掲載されたのであるが、昭和60年頃に「書きつつある連載」が何に当たるのか、この「初出一覧」や同じく田辺聖子全集』別巻1に載る「年譜」を見ても、私如きには見当が付けられそうにない。
 内容としては『田辺写真館が見た ”昭和” 』よりも楽天少女 通ります 私の履歴書に近い。疑問点は回覧の順序について「頭文字の「い」から回し始めるから、「た」までなかなかこない」と言っていることで、いろは順に回したらしいのだが、いろは歌の前半「ろはにほとちりぬるをわれそつねならむ」を見ても分かるように「た」は16番めだから、「なかなか」と云う程のことはなかったろうと思うのである。それから、男女混合クラスとは云え、出席番号も男女混合だったのか、と云う疑問もある。さらに「田中」という「男の子」から回って来たようにも言っているが、いろは順ならば「たなか」の3字め「か」は14番め、「たなべ」の「へ」は6番めだから「田中」から回って来ないと思うのである。どうもこの辺り、恐らく田辺氏も使用しなくなって久しいであろういろは順と、戦後すっかり馴染んでしまった50音順、さらに不正確な記憶を推測で埋めて述べているので、そのまま信用出来そうにないのである。
 そのためか、楽天少女 通ります』ではこういった疑問点を排除している。この、妙に詳しい部分、読み直しておかしいのではないか、と思って削ったのであろう*1。――人間の頭は記憶を合理化してしまうように出来ているので、本人の発言・記述でもおいそれとは信用ならないのである。(以下続稿)

*1:なお楽天少女 通ります』では「田中」君ではなく単に「男の子」としており、私は回覧板と同じく住所によって回覧の順序を定めたものと思っていた。私の頃は電話連絡が当然の「連絡網」だったけれども、当時はどうやって急な連絡を回していたのだろうか。今はメールの一斉配信とか、LINEとかになるのだろうけれども。