瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(189)

田辺聖子『私の大阪八景』(8) タヌキ先生
 昨日の続きで、タヌキ先生のモデルと思われる先生の回想を、まづ楽天少女 通ります 私の履歴書から抜いて置こう。42頁4~12行め、

 母は当然の如く教育ママであった。勉強のキライな小学生である私は、がみがみと叱り/つけて勉強させる母がにがてだ。ことに小学四年のときに成績が落ちたのは、担任の先生/と反りが合わなかったからだろう*1。私にはその先生の意地わるが殊にこたえた。生徒が悪/い点をとると、皆の前で二度読みあげニヤリと笑うような、男性教師には珍らしい陰険な/タイプ、(という感じがした。子供の直観もあてにならないが)この小学校では毎年一度、/大きい試験のとき答案を綴じて各家庭に回覧するという行事がある。よくもそんな、〈えげ/つない〉ことを考えたものだと思うが、PTAもないころ、子供の意志も親の意向も問題/にされない。勉強のできない子供たちにとってはミもフタもない無残な仕打ち、私はその/とき、とりわけ試験の出来が悪かったから助からない。


 この続きは44頁6行め~45頁6行め。この間、43頁には「母・勝世(昭和11年)」の写真、42頁13~16行め「 私はよくウソをつく子供であった。‥‥」そして44頁1~6行め「 教科書を拡げるふりをして小説を読んでばかりいた。ウソつきの上にナマケものであっ/た。‥‥」とあって、その手の武勇伝(?)に続いて、

・・‥。そういう、ちゃらんぽらんな人生を送ってきた小学生/であるが、答案の回覧は困った。母は教育ママらしく、試験の成績の発表はもうあったの/か、回覧はいつごろになるのかと、毎日のようにやかましく聞く。〈知らん〉〈わからへん〉/で押し通していたが、もちろんホントは肝の小さいコドモである私は、日々針のむしろで/あったというてよい。
 例のイケズ(意地悪)な先生にニヤリと嗤われた答案が、もうすぐウチにもまわってく/る、心臓があがったりさがったりする絶望の日々をどういえばよかろうか。しかしついに/破局の日は来た。私のクラスは当時珍らしい男女混合組で、男の子がその回覧答案の綴り/を持ってきた。たちまち私は下駄をつっかけるなり、家を飛び出す。地の果まで姿をくら/ましたいが、そうもならず、原っぱは夕焼けて、やがて子供たちの姿も消える。やっぱり/家へ帰るしかない。何も知らぬ祖母が、〈あれまあ、いまごろまで遊んで。はよう、ご飯お【44】あがり〉というが、母は無言でいる。……そのあと私の記憶はとぎれ、おぼえているのは/二階でこっぴどく母に叱られ、わんわん泣いている私だ。母は答案の成績より、ウソをつ/く私に深刻な憤激を発したようであった。これだけの家庭を廻ってきたのに、いつ回覧が/あるか〈知らん〉はずはない、ウソは泥棒の始まりとは三つの子でも知ってること、白々/しいウソをつくとはそら恐ろしい子や、ウソつく子はお母ちゃんの子やない。――私は/重々身にこたえ、地獄の責苦であった。


 この後、45頁7行め~46頁5行めに曾祖母が「地獄で仏」二階にやって来て母を宥めてくれたこと、1行空けて、46頁6行め~47頁12行め、河合隼雄のコメントを受けての田辺氏の感想が述べてある。
 それはともかく、――ところが、『田辺写真館が見た ”昭和” 』19章め「昭和の子供の夏休み」を見ると、いささか事情が違っているのである。この章は6月28日付(186)の後半に見たように、田辺氏と弟・妹の3人が揃って級長になったときの記念写真について述べたもので、一通り写真の説明をした後で、副級長の話からこの母に叱られたときの話に移るのである。
 まづ、写真説明の終りから副級長と四年生の担任についての記述を見て置こう。194頁8~14行め、傍点「ヽ」の打ってある字が再現出来ないので仮に太字にした。

 写真でみられるように妹は直毛、私は縮れっ毛である。兎のぬいぐるみを抱いている私、/この写真で見れば、いかにもかしこげであるが、昔からヘマばかりする子供であった。
 副級長は四年生ぐらいからやったと思うが、四年生の時の担任の先生は、それまでの先/生と風合*2が違い、規律にやたらきびしく、子供たちはオドオドしてしまった。毎時間、叱/られて立たされる子が続出する。先生の足音が聞えると、子供たちは静まるどころか、か/えって緊張感でうろたえまくり、机の蓋を開け閉めしたり、急にオシッコにいくたくなっ/たりして錯乱するのであった。


 続いて194頁15行め~195頁1行め、副級長の田辺氏が号令を間違えて叱られた話があって、答案の件になる。195頁2~10行め、

 この教師*3はまた、今までにない破天荒*4なことを思いつくアイデアマンでもあった。そし/てそれは強者に、より優越感を、弱者に、より屈辱感を与えるところに特徴があり、この/先生、すこしサディストであったのではないかと思われる。それは試験の成績を各家庭に/回覧する、という企画だった。デキル子はいいが、デキナイ子はせつない。しかも先生は/試験の得点をまず教室で読みあげられる。
 私は、(すでに諸兄姉ご明察のごとく)ふだんはそう悪い成績でもないのに、ここ一番、/という大事のときに限ってヘマをやらかす種類の子供であった。答案を各家庭に回覧する/という一大事件、教育ママの母が、私の将来と自分の面目にかけて勇み立っているという/折も折、私はその試験の出来が殊に悪かったのだから、たすからない。


 楽天少女 通ります 私の履歴書では「毎年一度」の学校行事扱いだったのに、ここではこの先生が思い付いて始めたことになっている。どっちを信じれば良いのだろうか。楽天少女 通ります』には「‥‥私の記憶はとぎれ、おぼえているのは‥‥」とあったから、その後、思い出して正確なところを書いたのだろうか。6月23日付(181)に念のため書影のみ貼付した文庫版も、確認する必要がありそうである。(以下続稿)

*1:ルビ「そ」。

*2:ルビ「ふうあい」。

*3:ルビ「せんせい」。

*4:ルビ「はてんこう」。