瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(197)

田辺聖子『私の大阪八景』(16) タヌキ先生
 昨日の続きで、河合隼雄対談集『あなたが子どもだったころ』の四六判並製本光村図書出版)と四六判上製本(楡出版)の、田辺氏との対談から、3節め「小学四年生という時代」を全文抜いて置こう。48頁下段7行め~51頁上段12行め、発言中に太字になっているところは、傍点「ヽ」を打つことが出来ないので仮に太字にして置いたもの。

河合 また小学校のときにさかのぼりますけ/ど、成績なんか良かったんでしょう。
田辺 担任の先生によるの。不思議ですね。
河合 なるほど。それもおもしろいですね。
田辺 さっきお話しした皮肉な先生のときに、/グッと下がっちゃった。
河合 それは男の先生ですか?
田辺 男です。ずっとそうでした。
河合 どんなふうに皮肉でした?
田辺 なんか嫌味な子だと思って私をばかに【48下】してたんじゃないかしらね。
河合 それは小学校四年生のときですか。
田辺 そう。四年生のとき、
河合 ぼくはね、小学校四年生というのは、/すごくおもしろいと思っています。どうも四/年生あたりに一つの転回点がありましてね。/だから、そのときに苦労してる子が多いんで/す。どこかで今までのパターンと変わろうと/してるんです。それがうまくいかないからギ/クシャクしたり……、
田辺 そうなんですか。
河合 その皮肉な先生の話は、ぼくはすご/く関心があるんですけどね(笑)。どんな感/じ?
田辺 たぬき、たぬきといってたの。意地悪/というか、例えば私たちがお掃除当番でお掃/除しますでしょう。後でできましたって先生【49上】を呼びにいくんですけど、その間にウワーッ/と騒いで遊んでるんです。すると、その先生/は、廊下を歩いてきてね、パッとドアを開け/て入ればいいものを、そうしないで上のとこ/ろにある隙間からのぞいている(笑)。そう/いう先生だった。
河合 わかります、わかります(笑)。
田辺 それでみんな「あーっ!」といってお/びえるわけですよ。私、今でも覚えています/が、その先生、腹立ちをこらえて唇をかみし/めていたんです。
河合 ええ、ええ。
田辺 だから、私たちは、先生がものすごく/怒っていると思ってビビッてしまった。サッ/と入ればいいのにねえ(笑)。のぞいている/んですよ。
河合 それで、そういう先生にかぎって、【49下】こっちがうまくしているところは見てくれな/い。
田辺 ええ。そうです。
河合 いちばん悪いときにパッと見ている/(笑)。そして、「田辺、お前はだめだ!」と/か何とかいわれる。次にどんなに頑張っても、/熱心に頑張ってると見てくれない(笑)。
田辺 肌が合わない先生っていますね。
河合 なんかこう、てれこてれこになる。/やっぱりそのときは成績が下がりましたか。
田辺 下がってました。でも、五年生になる/と、成績がどんどん上がりました。担任が替/わって、また男の先生ですけど、これは非常/に子ども心にもね、廉直っていう感じの先生/だったんですね。えこひいきをしませんしね。/ちょっと男前なんで、もう五年生になると反/応するんですね。背は低かったけれど、体育【50上】が得意な先生でしたから白い上下なんか着て/すごくイカすわけ。私なんかすごく勉強がお/もしろくなりました。
河合 そうでしょう。先生によって極端に/違ってきますね。
田辺 ホントに不思議ですね。クラスに頭の/いい男の子がいて、その子が級長で、私が副/級長だったのね。二人が英霊の凱旋行列に参/加する役だったことがあって、行列に参加し/て学校に帰ると、級友はもういなくて、その/先生だけが採点なんかのお仕事で教室にいら/した。「疲れたやろ」とおっしゃったの。そ/のとき、それがものすごくうれしくてね/(笑)。そんなこというてもらえるんなら、/なんぼでもいこうなんて思ったりした。それ/でも、あんまりものがいえなくってね。五年/生ぐらいでしょう、「いいえ」なんて、小さ【50下】な声でねえ(笑)。
河合 言葉が出なくなってしまう。
田辺 そう。ただニヤッと笑って……。言葉/も少ないんですね、子どもってねえ。
河合 はい。
田辺 その先生に五年、六年と担任してもら/いましたね。
河合 そのころから、四年の変な感じが変わ/るわけですね。
田辺 そうですね。
河合 ぼくもおんなし体験してますね。四年/生のときにやっぱり困った。


 河合氏が「すごく関心がある」と興味を示したことで、田辺氏は後年の楽天少女 通ります 私の履歴書及び『田辺写真館が見た ”昭和” 』よりも、この先生について語っている*1。まづ、渾名について「たぬき、たぬきといってたの」と述べているのが注意される。7月1日付(189)に引いた楽天少女 通ります 私の履歴書及び『田辺写真館が見た ”昭和” 』の記述から、田辺氏が『私の大阪八景』の「その一 民のカマド〈福島界隈〉」に、小学6年生のときの担任として登場させているのは小学4年生のときの担任だと見当を付けたのだが、この対談では、この担任について『私の大阪八景』にしか見えなかった「たぬき」と云う渾名を明らかにしている。小説には6月29日付(187)に見たように、苗字と見た目に由来する旨が述べてあった。今だったら書きづらい、なかったことにされそうな呼び方である。
 しかし小説の書き振りでは、実際のタヌキ先生(及びその関係者)はもちろん、小学6年生のときの実際の担任の先生(及びその関係者)も、田辺氏が教え子であったことを語りづらくなってしまいそうである。
 その小学6年生のときの担任については、楽天少女 通ります』の記述を6月27日付(185)に、『田辺写真館が見た ”昭和” 』の記述を6月30日付(188)に引いて置いた。後者に見える「英霊を迎える粛々たる弔旗の行列」の挿話は、この対談でも語られているが、それよりも「ちょっと男前なんで」云々と見た目に触れているところが興味深い。これもタヌキ先生の由来と同じく、後年の回想では触れられなくなってしまうのである。
 しかし、タヌキ先生が掃除の点検に来て、黙って上の隙間から覗いていた、と云うのは学校の怪談ブームの頃から流行り出した怪談のパターンの先取り(?)と云うべきもので、田辺氏は楽天少女 通ります』及び『田辺写真館が見た ”昭和” 』には取り上げていないが、これこそがタヌキ先生が生徒を震え上がらせた挿話として有効だったと思うのである。少々キツ過ぎるけれども。(以下続稿)

*1:追記】昨夜、予め用意して置いた対談に、愚考を書き添えて投稿するつもりだったのだが、6月4日付「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(90)」の最後に述べたと同じような状態になって、変換しようとするとフリーズするようになってしまったので差当り「またちょうしがわるいのでこめんとはあすついかすることにする。」と書いて投稿した。その分を取り急ぎ補って置く。