瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

吉行淳之介『恐怖対談』(2)

 それでは、シリーズ最初の『恐怖対談』と最後の『特別恐怖対談』から、この「恐怖対談」が如何なるものであるかの記述を抜き出して見よう。
・『恐怖対談』(1)
 吉行淳之介「あとがき」は単行本(2刷)231頁・文庫版(二刷)266頁、同文で字配りも同じである。2~9行め、

 この世の中には、さまざまの「恐怖」が満ち溢れている。それは「キョーフ」というようにコ/ミカルに受止められるときもあるが、場合によってはそのほうがもっとコワイ。そういう色々の/恐怖について、それぞれ適任のかたと話し合って一冊にまとめたのが、この書物である。笑いな/がらこの本を読んだ読者の背筋に、冷たい汗の粒が並ぶ、というようなことになるかどうか、と/もかく沢山笑ってもらえればそれで私としては満足といえる。
 発表誌は「別冊小説新潮」で、これは季刊であるから、十回の対談が昭和四十九年二月から五/十一年四月までかかった。そこのところで一年間の中休みをして、五十二年の同誌秋季号から、/「恐怖対談」PART2が再開されている。


 10行め、4字下げでやや小さく「昭和五十二年初冬」、11行めは下寄せでやや大きく著者名。単行本は前後1頁がぞれぞれ白紙で、次に奥付があるが、文庫版267~270頁は和田誠「解説」で、末尾(270頁11行め)に下寄せでやや小さく「(昭和五十五年十一月) 」とある。
 まづ、和田氏が似顔絵を描くきっかけが、昭和41年(1966)の『吉行淳之介軽薄対談』単行本化に際しての、ゲストの似顔絵を描く仕事であったことを述べ、そこから吉行氏の対談のファンになったこと、その面白可笑しさには裏があることについて述べ、268頁12行め~269頁6行め、

 吉行さんの対談にいつもさりげなく潜んでいる怖さを抽出しようという企画が、昭和四十九年/から始まった「別冊小説新潮」の「恐怖対談」であった(今は「小説新潮」本誌に移っている)。/ぼくは挿絵*1を描くために、この対談の場にできるだけ出席するようになった。出席と言っても、/お二人を真面目に描写していなければならない役割だが、実は絵など描かずに一緒に食事をする/だけである。お二人が熱心に語り合っている時も、聞きながらただ食べているという、怠惰な挿/絵画家である。立場としては、食事もとらずに仕事をしている速記者と同じである筈なのだが、【268】何故か楽をさせて貰っているのだ。楽をしながら、吉行さんのさりげなさに感心している。
 恐怖対談と言っても、吉行さんはお化けやオカルト的な恐怖については話したがらない。関心/がない。関心があるのは人間である。あるいは人間と人間の間に生まれるもの。男と女であって/もいいし、男と男であっても、母と子であってもいい、そしていつも恐怖そのものを話題にする/のではなくて、むしろ逆の方法をとる。とりあえず話を面白可笑しい方向へ持って行く。人間が/面白く人間を語る時、おのずと滲*2み出る恐怖をさりげなく待つ、という寸法だ。

と、この企画について説明している。さらに吉行氏の方法について指摘して、最後に、270頁4~10行め、

「恐怖対談」にはごく稀*3に、ぼくの発言が一行ばかり出てくることもある。それもほとんどは/「同席の男性」の言葉の中に抱括されている。種明かしをすれば、「同席の男性」は主として「恐/怖対談」の担当編集者である新潮社の横山正治さんだ。「恐怖対談」の面白さは、まとめ役の横/山さんの腕に負うところも多いと思う。しかしいかに有能な編集者といえども、無から有を生じ/ることはできないので、この対談がもともと面白いのである。これは同席する一人として証言で/きる。編集者の腕前について言うならば、料理の香りを逃がさないように盛りつける料理人のよ/うに、対談の香りを逃がさないように活字化する、ということであろうか。

と、編集やゲスト以外の同席者について触れている。(以下続稿)

*1:ルビ「さしえ」。

*2:ルビ「にじ」。

*3:ルビ「まれ」。