瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

elevator の墜落(3)

吉行淳之介『恐怖対談』
 昨日まで、企画について確認した吉行淳之介の「恐怖対談シリーズ」の1冊め、『恐怖対談』には10人のゲストとの対談が順に収録されているが、7月17日付「吉行淳之介『恐怖対談』(2)」に引いた文庫版の和田誠「解説」にもある通り、怪談は殆ど語られていない。
 今回は、その数少ない怪談のうち1つを紹介して見よう。
 6篇め「北杜夫「たんたんタヌキ篇」」*1、単行本(2刷)119~141頁・文庫版(二刷)139~164頁で、1頁め(頁付なし)は扉で横組みで左寄せで題、次に右寄せでゲスト名、下半分は吉行氏と北氏のイラスト。単行本は枠(13.9×9.8cm)があって、題(2.5cm)とゲスト名(2.0cm)はそれぞれ左右の枠とは少し離れている横線で仕切った枠に収める。文庫版には枠はない。2頁め(頁付なし)は左下に明朝体縦組みでやや小さく、末尾に下寄せで(吉行)とある、ゲストと内容について述べた前書。本文は以下の8つの節に分かれている。節の題はゴシック体2行取り下寄せ(下に2字分空白)で入っている。3頁め冒頭はさらに3行分空白。
恐怖の手紙、恐怖の大先輩」単行本121頁1行め・文庫版141頁1行め
裏の文房具店の美人姉妹」単行本123頁10行め・文庫版143頁16行め
怪人マブゼ博士の正体」単行本125頁9行め・文庫版146頁2行め
エレベーターとトイレの……」単行本127頁18行め・文庫版141頁17行め
 単行本129頁上・文庫版149頁上 洋酒の瓶とコップを前に口から煙(?)を吐く北氏のイラスト
博士号の実体?」単行本131頁4行め・文庫版152頁9行め
「ヒポコンデリー」とは何か?」単行本134頁5行め・文庫版156頁1行め
悲惨な病気群」単行本138頁4行め・文庫版160頁13行め
将来についての或る見通し」単行本140頁7行め・文庫版163頁3行め
 末尾(単行本141頁12行め・文庫版164頁11行め)に下寄せで小さく「(昭和五十年五月二日・東銀座〈吉兆〉で)  」とある。
 さて、4節め「エレベーターとトイレの……」の中盤に、以下の件がある。単行本128頁15行め~130頁9行め・文庫版150頁5行め~151頁11行め、単行本の改行位置を「/」、文庫版のそれを「|」で示した。

 怪談の類いで吉行さん、こわいというのを聞いたことありますか。
吉行 いろいろきいてくれるから今日はラクだね(笑)。そういえば怪談のこわいのって、聞い|た/ことないですね。
 これも話すと実にクダらないんですが、慶応病院にぼく勤めてましたね。神経科があるのは/|北里講堂の脇の旧館というか、石造りだけど古めかしい建物なんです。それにエレベーターがつ/|いてましてね。これも旧式で、フランスみたいに鉄格子があって、中が見えるんです。ぼくたち/|神経科の医局は二階だから、ほとんど階段を使ってたんですけど、たまに使う連中もいるわけで/【128】|す。宿直の夜なんか、そのエレベーターが/動くとガアーッと音が宿直室まで聞えてく/るんです。
 或る時、看護婦長から怪談を聞いたんで/すよ。前に慶応病院に... ...その建物には外/科や内科の|入院病棟もありますからね。内/科の入院患者で非常に美しい若妻がいたっ/ていうんです。旦那さ|んが頻繁*2に見舞いに/来て、みんなからうらやましがられたよう/な仲だった。奥さんが退院する時|に、彼女/はエレベーターで降りて、旦那さんは階段/を降りていったんです。そしたらエレべー/タ|ーのケーブルが切れて、若妻が死んじゃ/った。これは噓か本当か分らない。多分噓/だろうと思う|んです。それ以来、そのエレ/ベーターは乗ってる人がいないのに、夜中/にガアーッと上下するこ|【150】とがあるんで、若/い看護婦なんか真夜中の宿直でいてエレべ/ーターの音がするとこわがってまし|た。そ/れをぼく聞いて、これは話としてはそうこ/わい話じゃないでしょ。ただ実感として、/【129】宿直|室に真夜中にいて、そのエレベーターがガアーッと凄い古風な音響をたてて動くと、ゾッと/しま|したよ、ハッキリいって。
吉行 しかしそんなに仲良くしてるのが、退院する時、なぜ一緒にエレベーターに乗らなかった/|のかな。
 それは担送車かなんかを入れたんで、いっばいになったんじゃないかと思います。あと、付/|添いの看護婦やなんかいたから。
吉行 そういうのはやっぱり宿直でもしてないと分りませんね。病院というものの中の宿直室で/|寝ているってことが、そういうことをこわくさせるんでしょうね。
 ええ。ただ、一人で寝るってことはまずないんです。‥‥


 北氏が「北里講堂」と呼んでいる建物は現在「北里図書館」の呼称が一般的のようだ。東京都新宿区信濃町35の慶應義塾大学病院の西、東京都新宿区大京町昭和12年(1937)10月竣工、北里記念医学図書館等と同居している。現在の建物の名称は「慶應義塾大学信濃町メディアセンター」である。北氏の云う「旧館」は、北里図書館の北に現存する予防医学校舎か、南にあった、現存しない別館(現在は3号館が建っている)のどちらか、恐らく別館の方ではないかと思うのだが、北氏の回想『どくとるマンボウ医局記』を読めばはっきりさせられようか。
 2014年7月29日付「北杜夫『楡家の人びと』(09)」及び2017年1月30日付「北杜夫「僕の怪談」(1)」に取り上げた KAWADE 夢ムック 文藝別冊「北 杜夫 どくとるマンボウ文学館に載る、斎藤国夫 作成「北杜夫略年譜」(初版222~223頁・増補新版270~271頁)に拠ると、北氏は昭和28年(1953)5月に慶應義塾大学医学部神経科教室助手となり、昭和29年(1954)には軽い肺浸潤のため半年医局を休み、昭和30年(1955)12月に山梨県立玉諸病院(現・北病院)に派遣、昭和31年(1956)12月に医局に戻っている。その後、昭和33年(1958)11月から昭和34年(1959)4月に掛けての『どくとるマンボウ航海記』の旅を経て、医局を辞めるのは昭和36年(1961)1月である。――この話を聞かされたのは、この医局勤務時代の初め頃と見当が付けられよう。(以下続稿)

*1:題は単行本本文の奇数頁(121~141頁)の上部中央の柱(ヘッダ)に拠る。1頁(頁付なし)「目  次」7行めには「北   杜 夫「たんたんタヌキ篇」」とある。文庫版の3頁(頁付なし)「目  次」7行めには「北   杜 夫――たんたんタヌキ篇」、本文の奇数頁(141~163頁)の上部中央の柱(ヘッダ)には「北杜夫――たんたんタヌキ篇」とある。

*2:文庫版ルビ「ひんぱん」。