瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

吉行淳之介『恐怖対談』(3)

 昨日の続きで、今回はシリーズ最終巻から「恐怖対談」について述べた箇所を抜き出して見よう。
・『特別恐怖対談』(1)
 吉行淳之介「あとがき」は単行本213頁・文庫版241頁、同文で字配りも同じである。2~12行め、

 この本は「恐怖対談」シリーズPART4に当るものだが、書名に苦労した。/『恐怖対談』『恐怖・恐怖対談』『恐・恐・恐怖対談』と刊行になって、四冊目/となると手づまりになった。結局、「同席の男性」こと横山正治さんと出版担/当の栗原正哉さんが二人で知恵をしぼって、『特別恐怖対談』というのを考え/てくれた。
 昭和四十九年二月に第一回の対談をおこなって以来、途中休憩もあったが十/二年つづいたこの対談も、これで終了である。本書の対談は、「小説新潮」昭/和五十八年十二月号から六十年六月号まで隔月に掲載になった。
 硬・軟どちらの速記においても名手の中尾美雪さんが、その仕事をやめると/いう。中尾さんには、二十五年間にわたってつき合ってもらった。第四十回/(最終回)遠藤周作氏との対談が、最後の速記になるということである。


 単行本は1行分空けて13行め、3字下げでやや小さく「昭和六十年夏」とあり、14行め、下寄せでやや大きく「吉行淳之介」とある。文庫版は13行めに下寄せで「(昭和六十年夏)」とのみ。
 単行本は「あとがき」の裏が白紙で、次に奥付があるが、文庫版は242~245頁、横山正治「解   説」で、242頁12~13行め、

 昭和四十九年二月から十二年間、「恐怖対談」「恐怖・恐怖対談」「恐・恐・恐怖対談*1」そし/てこの「特別恐怖対談」、あわせて四十席の〈恐怖対談シリーズ〉に私は同席した。‥‥

とあって、横山氏は前回引いた新潮文庫2470『恐怖対談』の和田誠「解説」にあったように担当編集者で、この「解説」執筆の時点では、末尾(245頁17行め)に下寄せでやや小さく「(昭和六十二年十月、「小説新潮」編集長)  」とある。経歴については、e-honのランダムハウス講談社文庫『樹に千びきの毛蟲』の「著者紹介」に、

横山 正治 (ヨコヤマ マサハル)  
1944年横浜市生れ。1966年慶大仏文科を卒業して新潮社入社、2005年まで在籍。「小説新潮」編集部員時代に吉行淳之介担当として「恐怖対談」を足かけ10年、最後の短篇連作「目玉」などを手がけた。後に出版部に異動、没後の「吉行淳之介全集」を担当した(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

とある。新潮社退社後に編集した吉行氏のエッセイ集である。
 この「解説」は、243頁14~15行め、

 最終巻でもあることなので、裏方の立場から「恐怖対談」の出来るまで、に即して二、三、/記しておく、

として、243頁16行め~244頁3行めに「ゲスト」について人選等のこと、そして244頁4~8行め、

 対談当日はゲストと吉行さん、イラストレーションを担当する和田誠さん(本書ではゲス/トとしても登場している)、速記の中尾美雪さん、時によってゲストと親しい立場にある新/潮社の編集者、そして発表誌「小説新潮」の担当者である私が出席する。対談のなかで時折/り発言のある「同席の男性」というのは、ゲストと吉行さんを除いた出席者を複合した人物/と考えていただくのが正しい。‥‥

とあって、続いてこの段落末まで「同席の男(女)性」と云う「言い方」について述べている。
 纏め作業については244頁16~18行め、

 対談後十日ほど経*2つと中尾さんから速記録が届く。それを整理し、三分の一から四分の一/の分量に縮め、吉行さんのチェックを受けてゲラにする。ゲストにゲラを見ていただき、最/後に和田さんのイラストレーションが出来あがって、「恐怖対談」一回分は完成である。【244】

とあって、続く245頁1~7行めには「対談速記を整理する際」のことを述べ、最後にタイトルについて、245頁8~16行め、

 本書の「特別恐怖対談」というタイトルはまず第一に、内田百閒「特別阿呆列車」にヒン*3/トを得ている。さらにシリーズ唯一の女性である瀬戸内晴美さん、最も若い沢木耕太郎さん/というゲストを迎えていること、星新一氏の〈「一〇〇一篇目を書いた夜」篇〉という記念/すべき一篇から始まっていること、なによりもシリーズ最終巻であること、それに先行する/三巻には入っていた吉行さんによる各篇の前書がないこと、それらをすべて総合して、やっ/ぱり “特別” だということに、出版担当者と意見が一致した結果である。もう一つ「続々々/(ゾクゾクゾクッ)恐怖対談」という候補もあるにはあったが……。
 シリーズ全体のタイトル「恐怖対談」は吉行さんの案である。タイトルを思いついたとい/うご連絡をいただいた時の、吉行さんの晴れやかな声の調子はいまでも耳の底に残っている。

と説明している。
 速記の中尾氏のことは「あとがき」にも特記されていた。25年間を昭和60年(1985)から遡れば昭和35年(1960)である。前回引いた、新潮文庫2470『恐怖対談』の和田誠「解説」に言及されていた「吉行淳之介軽薄対談」も中尾氏の速記なのであろうか。ワープロのない時期の文字起こしはさぞかし面倒だったろうと思う。(以下続稿)

*1:ルビ「きよ きよ」。

*2:ルビ「た」。

*3:ルビ「ひやつけん・あほう」。