・遠田勝『〈転生〉する物語』(41)「五」1節め⑦
昨日は何とか投稿したものの、余裕がなく、その後手を入れてそれなりに整えたものの、意を尽していない。
要するに、――全国的には松谷みよ子の再話で有名になったのだろうが、地元・長野県では胡桃沢友男の報告からも窺われるように、非松谷の系統が強固に存している。そして、黒部渓谷のためにアクセスが悪く余所者からはほぼ意識されることのないもう一方の地元・富山県では、長野県以上に非松谷なのである。長野県民は「信濃の民話」として白馬岳の雪女を語っている松谷氏の再話に接する機会が少なくないであろうが、富山県民には関係のないことである。
そして、何故白馬岳の東西の麓、信州・長野県と越中・富山県では非松谷の系統が強固なのかと云うと、松谷氏以前、青木純二『山の傳説 日本アルプス篇』刊行から数年のうちに、地元出版の伝説集に雪女が取り上げられ、後続の伝説集にも取り上げられ続けて、浸透して行ったからなのである。遠田氏は「白馬岳」と云う「地名の魔力」的な魅力が、ハーン「雪女」ほぼそのままのこの話を白馬岳に定着させたのだと思っているらしいのだが、実態は大正から昭和戦前に掛けて、民俗学の勃興や鉄道網の整備に伴う観光業の興隆に伴って、日本各地の伝承に興味が集まり、「旅と傳説」と云う半分読物、半分民俗学みたいな雑誌が出るまでになっていたのである。『山の傳説』もそうした流れの中で出た伝説読物であった訳だが、それが直ちに地元出版の伝説集の資料として採用されてしまったのである。別に、白馬岳と云う舞台にロマンを感じて採用した訳ではない。真面目な意識で、土地の伝説を網羅した伝説集を編纂しようとしたまでなのである。しかし、そもそも伝説と云うものが歴史の捏造みたいなものな訳で、うっかりすると全くの捏造品に引っ掛かってしまうようなことにもなる。そして、学術的な配慮が十分であったとは言い難い、しかし真面目に編纂されたこれらの伝説集が地元の伝説の基本文献になってしまったために、後続の伝説集に書承で受け継がれ、さらにそこから口承化を見るに至ったのであろう。
だから、別に、地名が「白馬岳」でなくても、定着し、口承化したであろう。もちろん白馬岳の方がロマンを感じさせるだろうけれども、問題はそこにはない。
似たような例としては、伝説ではなく怪談なので定着までの状況が若干異なっているが、捏造、書承、繰り返し出版、断続的に取り上げられるうち定着、口承化、と云う流れで、2019年9月16日付「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(119)」に見た、やはり青木純二が捏造して『山の傳説 日本アルプス篇』に載せ、戦中に繰り返し増刷された杉村顕『信州百物語』に採られ、或いは戦後の山岳雑誌などで蒸し返されて口承化した「蓮華温泉の怪話」と、大きくは変わらないと思っている。
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この節の最後、102頁6~12行め、
この二話に共通する特徴として、山小屋での遭難で、父の茂作が命を失っていない点があげられ/る。すると、雪女は、なんのために箕吉に口止めをするか、理由がわからなくなってしまうのだが、/この改変は、5の山田野理夫の『アルプスの民話』で、雪女が茂作の死に関与せず、箕吉の救助の/ために現われるという改変と、変化の方向としては同一のように思える。つまり、こうした伝説が、/共同体を越えた、より広範囲の聞き手をもつ近代的な「民話」や、子供向けの「童話」に移行して/いくなかで、父を殺した女と夫婦になるという点が、道徳的に強く忌まれたためではないか。こう/なると雪女は、鶴女房や狐女房といった毒のない異類婚姻譚に、さらに近づいているのである。
口止めの理由だが、一応「姿を見られたから」と云うことになるのだろう。そして息子(箕吉)が眼を覚まして雪女を見たことで、父親(茂作)の命を取り損ねた、と云うことになるだろうか。
6の山田野理夫『アルプスの民話』は、当人が「はしがき」に『山の伝説』の書名を挙げ、内容的にも『山の伝説』に多くを依拠していることが明らかだから、山田氏の意志による改変で間違いない。しかし、7と8の富山県の「昔話」に関しては、富山県に於ける白馬岳の雪女の文献を辿って、どの時点での改変であるか、いや、そもそも改変ではなくて単なる脱落かも知れないのだが、確認する必要があるだろう。その上で『アルプスの民話』と同一の方向の変化かどうか、判断するべきであろう。(以下続稿)