今日は、当初「・伝説集に対する麗しき誤解」との見出しで昨日の続きを述べて行くつもりだったのだが、人によっては当り前のことだし、急にこんな展開になって十分に用意が出来ている訳でもない。かつ、続きを書かないと全国各地から歎声が漏れる程に、読者が付いている訳でもない(笑)。――5月28日付「東京RADIO CLUB「東京ミステリー」(1)」の付け足りに書いたように、5月20日以降、当ブログの訪問者が急に増えたのですが、Google Analytics で見ますと、5月20日から今日まで、ページビューが 40,878件、ページ訪問者が延べ 33,288人、うち、2018年10月19日付「閉じ込められた女子学生(16)」が 8,952件(21.90%)7,694人(23.11%)、次いで2018年11月4日付「閉じ込められた女子学生(20)」が 4,229件(10.35%)3,566人(10.71%)、2018年10月20日付「校舎屋上の焼身自殺(01)」が2,474件(6.05%)2,160人(6.49%)と続きます。恐らく6割方、ひょっとすると7割以上がこの事件・事故に関連した記事への訪問者で、それ以外の記事まで(はてなブログに移行してから、はてなダイアリーよりも閲覧しづらくなったような気がするのですが)覗いてもらえるようなことは、殆どありません。しかし、ネット動画の勢いと云うものを感じますなぁ。そして、2018年10月19日付「閉じ込められた女子学生(16)」は当ブログの記事としてはポイントを押さえた内容になっているので、これが検索サイトの上位に上がっているのも(自分で云うのも何ですが)分かるような気がするのです。
妙な話になったが、上記の事故・事件に関する記事は、別に複雑な筋がある訳ではないので、調べながら判明したことを検討し、見通しを立てながら進めて行けば良かったのだが、今回の件は少々複雑で、かつ、問題は『信州の口碑と傳説』及び『信州百物語』に止まるものでもない。柳田國男「山と傳説」が苦言を呈していたような情況が当時あり、そして現在でも、いや現在はむしろ民俗学者が積極的にそれに加担するような按配で、続いているのである。云って見れば民俗学の宿痾みたいなもので、ここをきちんと整理しないと本当はいけなかったのに、個別の話題、書物、或いは人物について、ちまちまとした整理が行われていると云うような按配で来ているように思うのである。いや、一部の学者が仮にこういう問題に手を着けていたとしても(着けていないかも知れないが)、それが一般の認識にはなっていないのが実情である。そんなことに今や退隠状態で、そうでなくても殆ど手許に資料を持っていない私が乗り出すのには、まだまだその覚悟が足りないのである。
先日、図書館を梯子する序でに書店に立ち寄って、関係しそうな本を買うつもりもなく(後日図書館で探すつもりで)手にして見たのだが、うち1冊に、私の論文が取り上げられていたのである。随分褒めてあったのだが、私がその論文で解体したはずの、従来のその件に関する構図はそのままになっているので、何だか狐に摘ままれたような気分にさせられたのである。私の論文を読めば、従来行われていた説が資料を素直に読まずに、先入観に引き擦られて事実を捻じ曲げてしまっていることが明らかになっているはずなのだが――と思いつつ、良く見ると、私の名前が間違っていた(笑)。つまり筆者は執筆に当たって、以前読んだであろう私の論文を改めて確認することを怠り、せいぜい従来説に若干の知見と新資料を追加した程度のものと云う見当で済ませて、書いてしまったらしいのである。或いは、要点のメモだけあって失くしてしまったのかも知れない(苦笑)。
2018年3月1日付「中学時代のノート(2)」に、私の博士論文の指導教授が、ある資料について、私の博士論文の一節と全く同じ考証を、私の博士論文には(忘れていたらしく)全く触れずに、ある雑誌に発表していたことがあった、と書いた。あれは、考えようによっては痛快(?)だったが、今回は微妙である。しかし、最近表立った活動をせず、連絡もしなかったのだから(連絡するような用事もなかったのだから当然だが)忘れられて当然で、別にどうしようとも思っていないのである。
それはともかく、「蓮華温泉の怪話」に関連する記事も、後から後からいろいろなことが判明して、私が既に明らかにした事実についても、新たに書き替える必要が生じている。それは当ブログに追加することになると思うのだけれども、今のまま追加したのでは(自分でも)読みづらくてかなわない。分かりやすく纏め直した記事を用意するとしても、それを2018年10月19日付「閉じ込められた女子学生(16)」のように見付けやすくしてもらえるかどうか、分からない。かつ、1日で書き切れないから続き物になって、最後まで読んでもらえない可能性大である。twitter も正直、どの程度効果があるのか、今のところ分からない。さて、どうしたものか、と思っているのである*1。(以下続稿)