瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

須川池(4)

・杉村顕『信州の口碑と傳説』
 この興味深い伝説は、もちろん杉村顕も取り上げている。8月26日付「杉村顯『信州の口碑と傳説』(5)」に取り上げた「北信地方」に、これまでの要領に従えば、
・小縣郡【7】須 川 の 池(163頁3行め~164頁)
と云う示し方になる。郡は目次の部立にはあるが本文にはない。番号も郡ごとに仮に打った。本文には4行取り5字半下げ、明朝体で大きく「須 川 の 池」と題して、163頁4行めから本文、

 小縣郡小牧山の頂に、須川の池と云つて、周圍二十丁餘りの池があり/此の池の主は釣鐘であると云はれ、どんなに烈しい旱魃の折でも、未だ/曾て水の涸れた試しがない。*1
 昔、未だ神川村に國分寺のあつた頃、一人の盗賊が、何とかして其の/釣鐘を盗み度いものと思ひ、隙を覗ひ、仲間を語らつて、とうとう須川/の池の畔まで盗み出して來た。*2【163】
 此處まで逃げればしめたもの、よもや追手も來られまいと、盗賊達は/釣鐘を中に一憩みした。すると不思議や此の時、突然に釣鐘が物を云ひ/出した。*3
  國分寺戀しや、ぼぼらぼうん*4
  國分寺戀しや、ぼぼらぼうん*5
 さうして盗賊達が喫驚仰天してゐる間に、釣鐘は自然に動き出してや/がて須川の池の中に落ち込んでしまつた。*6
 それ以來、釣鐘は池の主となり、今に至るも尚國分寺を戀ひ慕つてゐ/ると見え、偶々此の池に墜ち込んで溺れさうになつた者があつても、「國/分寺に行くんだ。助けて呉れ。」と一言云へば、主は必ず無事に岸邊に寄/せてくれるさうだ。*7

とあって、164頁の最後、1行分空白。
 さて、一読、10月14日付(3)に取り上げた藤澤衞彦編著、日本傳説叢書『信濃の卷』の「(一五二)須川の池」に類似していることが察せられるが、主が「鏡の化身である龍」なのか「落ち込んだ儘の國分寺の鐘」なのか曖昧であったのを「釣鐘は池の主となり」と明瞭にしている。蛇や大鯉・龍になったりしていない。
 地名の読み(神川村)がおかしいのは、杉村氏が長野県出身者でなく、余り地理に明るくなったことに起因していよう。
 それから注意されるのは、盗賊の描写がやや詳しくなっていることである。梵鐘の重さは大きさによってまちまちで、数十 kg の何とか1人で運べなくないものから、何十トンもするものまであって、国家事業として建立された「昔の国分寺」の鐘だとすると、1人で運べるほど軽いものではなかったろうと思われるので、ここで「仲間を語らって」としているのは合理的な解釈と云えるが、これも一つ間違えば賢しらである。
 また、10月12日付(1)に取り上げた現地案内板にある「追っ手」が問題になっていることにも一応注意して置きたい。
 それはともかく、杉村顕が日本傳説叢書『信濃の卷』を利用していることは、何度か触れては来たがまだ総点検を行っていない。そろそろ『信州の口碑と傳説』の典拠を総浚えする作業に着手しようかと思っている。(以下続稿)

*1:ルビ「ちいさがたごほりこ まきやま・いたゞき・す がは・いけ・しうゐ・ちやうあま・いけ/ぬし・つりがね・い・はげ・かんばつ・をり・いま/かつ・みづ・か・ため」。

*2:ルビ「むかし・ま・かみがはむら・こくぶんじ・ころ・ひとり・とうぞく・なん・そ/つりがね・ぬす・すき・ねら・なかま・かつ・す がは/いけ・ほ り・ぬす。だ」。

*3:ルビ「こ こ・に・おつて・こ・とうぞくたち/つりがね・なか・ひとやす・ふ し ぎ・こ・とき・とつぜん・つりがね・もの/だ」。

*4:ルビ「こくぶんじ こひ」。

*5:ルビ「こくぶんじ こひ」。

*6:ルビ「とうぞくたち・びつくりぎやうてん・あひだ・つりがね・し ぜん・うご/す がは・いけ・なか・お・こ」。

*7:ルビ「い らい・つりがね・いけ・ぬし・いま・いた・なほこくぶんじ・こ・した・み・たま/\こ・いけ・お・おぼ・もの・こく/ぶんじ・ゆ・たす・く・ひとことい・ぬし・ぶ じ・きしべ・よ/」。