・青木純二の経歴(1)
これは2ヶ月前の8月16日に、8月17日付「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(104)」として書き掛けていた草稿を基にしている。ネット検索のみでもある程度明らかに出来るようなので、取り敢えずその分だけでも纏めてしまおうと、当初は思っていたのである。
すなわち、青木氏について、8月10日付(097)の②の最後、そして8月16日付(103)の付け足り*1に述べたように、青木純二『山の傳説』に気付いたその日の晩に行った若干の検索作業で、2ch(現・5ch)や blog、twitter がヒットし、そこからアイヌ伝承の研究者・阿部敏夫の講演筆記を閲覧したことで、大体のところがつかめたような気がしたのである。
しかし、差当り岡本綺堂「木曾の旅人」の原話のような扱いをされて来た、杉村顕『信州百物語』の「蓮華温泉の怪話」が、青木純二『山の傳説』の「晩秋の山の宿」を下敷きにしていることをはっきりさせるため、まづその本文を提示することを優先させたので、青木氏について判明していることを整理するのは後回しにした。そして8月15日にその作業を終えて、16日に改めて検索して見るに、7日には何故か気付かなかった tonmanaangler のブログ「国家鮟鱇」の2017-08-22「「アイヌ伝説が実は創作だった」件について」に始まる一連の記事がヒットした。2017-08-24「「アイヌ伝説が実は創作だった」件について(その2)」には、恋マリモ伝説を青木氏の創作とする前記・阿部氏の研究が紹介され、2017-08-24「「アイヌ伝説が実は創作だった」件について(その3)マリモ伝説と雪女」に、白馬岳の話として民話集に記録されているラフカディオ・ハーンにそっくりの「雪女」の話が、青木純二『山の傳説』の「雪女」に由来すること、2017-08-25「「アイヌ伝説が実は創作だった」件について(その4)」に阿部氏の調査から青木氏の経歴に関する箇所が引用され、次いで白馬岳の雪女について遠田勝の研究を批判した牧野陽子の論文が紹介されている*2。
そこで8月16日付(103)には、8月7日時点で検索したサイトなどを挙げてなお調査が必要である旨の見通しを示し、以後、8月18日付(105)に青木純二『山の傳説』が杉村顕『信州百物語』の典拠の1つとして利用されていること、そして8月22日付「杉村顯『信州の口碑と傳説』(1)」から暫く、姉妹篇の杉村顕『信州の口碑と傳説』と青木純二『山の傳説』の関係に及び、さらに9月1日付(106)には『信州百物語』に戻ってそのほぼ全ての典拠を明らかにし、『信州百物語』の成立過程もほぼ明らかにしたのである。
その間、ブログ「国家鮟鱇」に紹介されていた牧野陽子「「雪女」の "伝承" をめぐって――口碑と文学作品――」(「成城大學經濟研究」第201号118~92頁・2013年7月)を読んだ。同じ論文は北山研二 編、Seijo CGS Working Paper Series No.8『文化表象のグローカル研究―研究成果中間報告―』(2013年3月29日・成城大学研究機構グローカル研究センター・219頁)165~218頁「Ⅲ.文学/文化とグローカル」の1つめ(167~179頁)にも掲載されている*3。
『文化表象のグローカル研究』は「ノセールの吸血鬼解説ブロマガ」の「ゆっくりと学ぶ吸血鬼 第13話後半 参考文献一覧」で知った。
さて、tonmanaangler 氏もノセール氏も、牧野氏が批判している遠田氏の研究について、牧野氏の紹介の範囲での検討、或いは感想を述べるに止まっており、遠田氏の本を参照していない。――私が最近気になるのは、本に纏められた研究を参照せずに、ネットで読める雑誌や報告書を参照することで満足して、そこに言及されている先行研究まで見ようとしない人が多いらしいことである。いや、私もそうだがブログ記事だから差当りそこまでで済ませているので、研究論文となればもっとしっかり調査するであろう。‥‥と言いたいところなのだが、以前も述べたようにネットで読める雑誌や報告書を見て、同じ研究者が後に自らの論文集に増補改訂版を収録していることに気付いていなかったり、と云ったことが研究論文にもあるから困るのである。
それはともかく、牧野氏の論文を読んで、これは遠田氏の研究を検討しないことには先に進められない、と思ったのであるが、遠田氏の著書にも先行研究の見落としがあり、どうも、改めて先行研究を整理するところから始めないといけないと思って、しかしそれが、なかなか順調に進められない。国会図書館で10時間くらい調査をしないといけないのだが、行く余裕のないままである。しかも、台風は大したことなくやり過ごしたが、翌日少々暑かったのが昨日からやたらと涼しくなってどうも身体の具合が悪い。それはともかく、私は図書館の本を使ってコピーも殆ど取らずに調査検討しているので、ある程度の見当でも始めてしまわないと、もう何冊か同じ本を何度も借りては、何もせずに返している。このままではこれまで中絶した記事と同じように、ぐずぐずしているうちに何もしないままになってしまいそうだと思って、一寸甘えるようであるが先刻書いたように、まぁ「ブログ記事だから」初めはかっちりしていなくても構わないだろう、と思って、読みにくかろうがまづ、青木純二についての先行研究を紹介しつつ私が新たに調べ得たことを追加し、それから先行研究で問題になっている「雪女」について、新たな筋を引いて見たいと、こう思ったのである。(以下続稿)
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やはりTVのニュースを見ていたら、高校の体育館に避難して、家では家電などの家財が水に浸かってしまい、家では暮らせないが体育館が寒くて仕方がない、と云った按配であった。昨日の繰り返しになるが、家財は2階に避難させて、2階でしばらく暮らすべきである。レベル5相当とか全員避難とか漠然としながら過剰に煽るようなことを云う前に、ここなら浸水しないとか、どんなに浸水しても2階には達しないとか、そういう知識を町会ごとに共有するべきだろう。
しかし、増水や決壊の情報が周知されていなかったらしい。家財を避難させるにしてもそこが分かっていないといけない。しかし、これほどの氾濫が起こったのに対して警戒せずに寝ていた、と言っている人が多いのはどうしたことだ。それこそ、半鐘を鳴らして知らせる、みたいな、原始的な、地域をごく限定した広報手段を考えるべきかも知れない。
【10月16日追記】いわき市は内陸にサイレンがなかったそうだ。これでは火の見櫓を復活させて半鐘を鳴らした方が良さそうだ。監視カメラで氾濫が記録されていても、知らせる術がなければ何の意味もない。かつ、余程の低地でもなければ(住宅地化する前に泥田・深田であった場所でもなければ)2階に家財と共に避難するべきである。道路が浸水してから家の外に出るのは(1本道で山に上がれるならともかく)危険過ぎる。