瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

芥川龍之介旧居跡(4)

吉野朔実『お父さんは時代小説が大好き』(4)
 昨日触れた「似たような経験」だが、2つばかり思い出した。しかし、通じるものはあると思うがそんなに似てはいない。だから、忘れた頃にこっそり書いて置こうと思っている。
 さて、芥川龍之介旧居跡が3筆に分割されたのうち「友人のM・R子」が住んでいた家について。
 19頁の最後のコマ、9コマめ、右側に次のナレーション、

中学校に上ると通学路が変ったので あまりその道を通らなくなったが 偶然その“山吹の家”のお隣の家の 女の子と同じクラスになって親しくなった。


 中学校は北区立田端中学校である。11月1日付(1)に触れたように田端中学校は今年度から滝野川第七小学校の跡地(北区田端4丁目17-1)に新築された校舎に移っているが、吉野氏の在学当時の校地は北区田端のうち僅かに山手線内からはみ出た地区にあった。吉野氏の当時の自宅(推定)からは山手線沿いの台地の縁を、田端駅南口へ下る不動坂の上に出て、そこからは田端高台通り*1を北西に、切通しを東台橋にて渡り、山手線を富士見橋(道灌山トンネル跡)で渡るとじきに、田端中学校(田端6丁目9-1)である。京浜東北線と山手線に挟まれた、半島のようになったブロックの中心に位置する。
 芥川龍之介旧居跡のある滝野川第一小学校への通学路は山手線からは100mほど内側を平行している通りである。
 この19頁9コマめから20頁3コマめまで、この「友人のM・R子」との交遊が描かれる。9コマめ、

吉野:「えっ あの家の隣 !? 」
友人:「うん あのとなり2軒は昔 芥川龍之介の家だったのよ」
吉野:「ええっ


 2人とも、髪型は右側に髪留めを付けた肩に掛からない長さで、襟には2本の恐らく白線。スカーフも白(もしくは明るい色)。現在の田端中学校の制服はセーラー服ではないので、生地が紺か黒かは分からない。
 そして左側に再度ナレーション「なにをかくそうこの話は彼女にきいたのだ。」とあるのだが、11月2日付(2)に触れたように、彼女の家も芥川龍之介旧居跡の一部だったらしいのである。
 20頁1コマめ、お喋りしながら歩く2人の全身像が描かれるが小さ過ぎて袖口の白線が何本か、等の細部は判別出来ない。手に提げている鞄は次のような感じ。

 左右にナレーション、右に「彼女とはほんとうによく話をした。」左に「同じクラスで毎日会ってしゃべっているのに 帰ってから電話をかけあい それでも足りずに家に遊びに行った。」2コマめの右にも続き「よくもあんなに話すことが 続いたものだ。」とのナレーションがあって、手書き「こんもり」と山盛りの「←紅茶の出がらし」の受け皿の下にさらに「ふたりで畑が出来るほど飲んで/しまった」と手書き。取り囲むように吹出しに「ビートルズ/学校/友達/大島弓子 萩尾望都 木原敏江/純文 SF/好きな人♡」と話題が列挙される。
 このM・R子と親しくしていた時期だが、――Wikipedia吉野朔実」項に貼付されているリンクから、『ましまる―おかえりなさいをきくまでは』に吉野氏自身によるらしき以下のような紹介文があることが察せられる。
ましまる―おかえりなさいをきくまでは

ましまる―おかえりなさいをきくまでは

 以下はAmazon詳細ページより。

1959年2月19日大阪生まれ。写真で見る限り幸福そう。同年10月、父の転勤で熊本に。暑い夏と夕立の記憶。1964年東京。1965年自家中毒をおこして幼稚園ろくに通えず。小学校、中学校無事卒業。1973年千葉。高校、短大、無事卒業。寒い冬と賢い友人と、賢くない友人に恵まれる。1980年集英社「ぶーけ」にデビュー作が載る。1985年独立して東京で仕事。現在に至る。・・・・


 東京で中学まで「無事卒業」したようであるが、千葉に移ったのが昭和48年(1973)とすれば中学3年生のときに千葉に転居したことになる。或いは年の方が間違っているのであろうか。高校は千葉県立柏高等学校を卒業している。
 3コマめはデビュー後である。右にナレーション、

最近でこそたまにしか会わなくなって しまったが、 彼女もその後(私より先に) 漫画書きになったのでお互いに 手伝いあったりしてずいぶん長い事 おつき合いが続いた。


 吉野氏がM・R子の手伝いをしている場面で、手書きで吹出しなしで

吉野:「ここどーすんの」
友人:「点描おねがい」

とごく小さく書き込まれているが、吹出し及び大きな書入れでは田端中学校の校歌(作詞 室生犀星)についてのお喋りが交わされている。
 左のナレーションには、

彼女の部屋の窓からは ほんの少しだけ隣の庭が見えた。

とある。最後、20頁の下部にはコマなしで山茶花の花が描かれ、"山吹のおばさん" の消息(伝聞)が記される。
 この大親友とも云うべきM・R子だが、初登場の19頁9コマめに手書きで「ヤセてて背が高くて/誕生日が/シェイクスピアと/同じ日 ↓ 」とあって、イニシャル(筆名とは違うのかも知れぬが)と生年月日が明らかにされているのに、俄に分からない。(以下続稿)

*1:11月1日付(1)に切通しばかり歩いたように書いたが、1度だけこの田端高台通りを歩いたことがあった。Google ストリートビューを確認していて、東台橋に近い忠敬堂と云う古地図屋に見覚えがあった。――もう10年になろうか。