瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

田口道子『東京青山1940』(2)

・細目(1)
 昨日の続きで、細目を確認して置こう。
 目次は1頁14行、目次の文字は各節に Times New Roman の算用数字で頁を示す他は全てゴシック体。各章とプロローグ・エピローグの文字は大きく、プロローグを除いて前1行分を空ける。各章には1字下げで節を示すが、それぞれの節の題に1字弱空けて数字を添え、同じ行に2字分空けてもう1節、同様に示す。【1月24日追記】節には番号が打たれていないが、検索の便宜のため仮に番号を打って【 】に示した。
 ここでは1行1節にして、頁数に添えて括弧に行数も添えた。本文は1頁15行、節の題は字下げなしのゴシック体で、頁の頭でない限り、前1行分を空けている。1行42字。
プロローグ
 【1】花の青山 時の旅人 10(2)
 【2】街と人の生々流転*1 12(12)
 【3】昭和激動の嵐のなかで 14(13)
 【4】窮乏と我慢の先に勝利はなかったが…… 15(11)
 本文は17頁5行めまで。3行分空けてやや小さく、3字下げで〈凡例〉とあって、その下から7字下げで3行、

文中の小学校同期生名は敬称略としました。文中の同期生のエピソードは『あの頃/青山・青南時代』(青南小学校卒業50周年記念文集・平成6年)より引用しました。/引用文および「日記」は原文のままとしました。日記文中 ( ) 内は著者によります。


第一章 時代の風のなかで
 【1】おだやかな募らしのあった戦前の街 20(1)
 【2】青山通り商店街の賑わい 21(7)
 【3】青山通りは専門店街だった 22(6)
 23頁写真「表参道入口の秋葉神社隣にあったクラスメート(積田せつ子)のクリーニング店。当時主/流だった店構え。2階の窓ガラスには参道の欅が映っている」
 【4】ミルクホールにビリヤ—ドが全盛で 24(13)
 25頁写真*2、上「戦前の高樹町の酒屋さん。店先に酒樽が並ぶ」中「商店がびっしりの青山6丁目/電停あたり。昭和16年」下「高樹町から下った霞町(現/在西麻布)には、品川-四谷/塩町間を走る通称墓地下線/があった。発車合図は運転/席のひもを引っぱってチン/チン鳴らしたのでチンチ/ン電車といわれた」
 【5】子どもは外でよく遊び 26(11)
 【6】青山墓地」でかくれんぼ 27(9)
 【7】兵隊さんのいた風景 28(7)
 29頁写真、上「市電「青山一丁目」交差点の電停で電車を待つ人々。左側「青山御所」。昭和16年」下「「青山墓地」入口。桜の木がまだ若かった」
 30頁写真、上「坂の多い赤坂でも急坂で知られる「三分坂」。改修前はもっと傾斜がきつく、荷車は後押/しなしにはとても上れなかったという坂を上がると三連隊。右側にいつも衛兵が立ってい/た。昭和16年」下「赤坂一ツ木街の旧芸州浅野家中屋敷跡に明治26年、赤煉瓦3階建て「近衛歩兵第三連隊」/兵舎を建築。明治40年。三連隊の消灯ラッパは青山の街まで響いてきた。現在TBS」
 31頁写真、上「「青山御所」前にあった「陸軍大学校」。現在の「区立青山中学校」。昭和16年」下「長州毛利家の中屋敷跡だった六本木の「歩兵第一連隊」。昭和16年昭和35年から防衛庁/庁舎となっていたが、防衛庁移転後公園に生まれ変わる」
 【8】力—キ色の陸軍兵隊服は街の風景に 33(8)
 34~35頁図版「日露戦争頃の青山練兵場の様子。明治36年発行の『風俗畫報』「新撰東京名所圖會赤坂區之部」より」
 【9】六本木から青山、代々木が歩兵の行進コース 36(8~37・15)
 【10】住宅街を行進した一個分隊の迫力 38(1)
 【11】兵隊さんはいつも汗と土のにおい 40(3)
 【12】あの頃の日本の気負いを背負わされ 40(12~41・15)
 【13】凛々しさもいつしか遠くなりにけり 42(1)
 【14】今は昔の「御幸通り」 42(11)
 【15】兵隊さん仕様の麦茶の味 44(8)
 【16】一九四〇年の日記 46(12)
 【17】ゼロ戦と二六〇〇年 48(9)
 49頁写真、上・中「まいにちつけていた昭和15年発行の/「青年日記」」背表紙側から写した表紙とカバー表紙カラー写真と同じ見開き。下「いまも外苑野球場前にある日本青年館全景。/昭和6年」※ 前の節に挿入すべき。
 51頁写真「南太平洋上空の零戦の編隊。昭和18年
 【18】日記に見る時代の気配 52(12)
 【19】帝国主義の真っ只中で 54(9)
 55頁写真、上「青山通りから見た戦前の表参道」下「「青年日記」の広告ページ」
 【20】危機意識は物不足からじわじわと 56(12~58・15)
 【21】配給と闇ルー卜を使い分けながら 59(1)
 【22】人形と手紙を入れた初めての慰問袋 60(7)
 【23】慰問袋のメル友がクラスメートにプロポーズ 61(10)
 【24】正直な生活情報には書き直しもあった慰問文 62(8)
 63頁写真、上「おませな宇田川裕子の慰/問文に「嫁にほしい」と/いきなり訪れた兵隊さん/と記念撮影。昭和18年」下「戦災で焼け落ちるまで青山で/名高かった宇田川写真館。瀟/洒な窓にはステンドグラスが」※ 前の節に挿入すべき。
 【25】ホン卜の話は消しゴムで消して 64(12~65・13)
 キャプションは改行のないものは主として図版の下に、改行のあるものは同じく図版の右か左に、全て横組みのごく小さな明朝体で添えてある。(以下続稿)

*1:ルビ「しょうじょうるてん」。

*2:【2月11日追記】誤って「24頁」としていたのを修正。