瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

米光秀雄・滝沢博・浅井徳正『多摩』(6)

・郷土叢書1『多摩』(2)
 7月1日付(1)の続き。
 扉と目次の間にアート紙の口絵がある。三刷は上に余白(0.3cm)があるが四刷にはない。写真の寸法は縦は三刷(11.2cm)四刷(10.6cm)で四刷はその分上部、空が狭くなっている。横幅は一杯に刷られておりこれは変りない。五刷は追って確認しよう。――防音壁のない中央高速道路(現:中央自動車道)の橋をバスと乗用車が渡る向こうに八王子城山が見える構図で手前は草の生える空地で建設工事が終わったばかりと見える。
 中央高速道路はまづ昭和42年(1967)12月15日に調布インターチェンジ八王子インターチェンジまで開通、八王子城の近くを通る八王子インターチェンジ~相模湖インターチェンジ間は片側1車線対面通行で昭和43年(1968)12月20日、本書刊行の10箇月ほど前に開通している。
 八王子市元八王子町3丁目、城山川の支流御霊谷川を中央高速道路が渡る所なのではないかと思うのだがどうだろう。三刷は薄く四刷は写真も文字も濃い。
 下の広い余白の右下に横組みで「八王子城遠望」とあって、1行分空けて1字下げでやや小さく、

甲州口の押えとして北条氏照により/築城。天正年間,豊臣秀吉軍に滅ぼ/された。眼下を,現在,中央高速道/路が走っている。

とある。裏は白紙。「目  次」は2頁(頁付なし)。
 1頁(頁付なし)は1章めの扉で左上にやや大きく明朝体縦組みで「山 と 川」とある。細目は将来各章をより詳しく見る機会があることとして今回は割愛する。2~22頁本文。
 23頁(頁付なし)2章め「古い道」の扉。24~80頁本文。目次に示されていない24頁1行め~25頁5行め「は じ め に」の冒頭、24頁2~3行め、

 この春(昭和四十四年)には、調布――河口湖間の中央高速道路が開通した。追いかけるように/東名高速道路も全線開通した。このように新しい道がぞくぞくできる。‥‥

とある。昭和44年(1969)3月17日に相模湖インターチェンジ~河口湖インターチェンジまでが開通している。東名高速道路の全線開通は5月26日。
 81頁(頁付なし)3章め「多摩の古城址」の扉。1節め「辛垣城址」の頁を目次1頁め11行め、半角漢数字で「六三」とするが83頁11行めに「 辛 垣 城 址」の見出し。なお目次1頁め10行め「多摩の古城址」の下は余白で頁はない(節分けしていない6章めのみ章の頁を示す)。82頁1行め~83頁10行め「は じ め に」も目次には示されていない。
 105頁(頁付なし)4章め「峠」の扉。106~156頁本文。
 159頁(頁付なし)5章め「野の仏たち」の扉。158~196頁本文。
 197頁(頁付なし)6章め「宿  と  街」の扉。目次2頁め13行めには「宿 と 町」とあった。198~297頁本文。
 298~300頁「あ  と  が  き」には、298頁2~3行め、本書が「武蔵書房の発足第一歩をかざる処女出版で/ある」こと、11行め「若き業主によって経営されるこの武蔵書房に対し惜しみなきご後援を」希って、299頁1~6行め、

 はじめに。業者おひきたてのご披露におよんだが、自分たちの頭の蝿も追わないでは、紙をよ/ごした責がはたせない。すなわち、本文各章節は
 山と川・古い道・多摩の古城址を米光
 峠・野の仏たちを滝沢
 宿と街を浅井
が、分担執筆した。

とある。初めの句点はママ、四刷でも訂正されていない。大体1/3ずつ分担したことが分かる。
 300頁5行め、3字下げでやや小さく「 一 九 六 九 初 秋 日」とあり、6行めに下寄せで「執筆者代表 浅 井 徳 正   」とある。(以下続稿)