瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

飯盒池(4)

・丸山政也・一銀海生『長野の怖い話 亡霊たちは善光寺に現る』(4)
 昨日、本書147~148頁「三十八 ハンゴウ池 下高井郡」を、原話と思われる松谷みよ子『現代民話考Ⅱ 軍隊』に載る話と比較して見ました。
 しかしながら、3月22日付(2)にも注意したように、本書巻末の「参考文献・出典・初出・引用」に『現代民話考』は挙がっていないから、丸山氏は別の文献を参照したことになります。そこで平野威馬雄『日本怪奇物語』ではないか、と見当を付けました。ネットの画像検索でヒットした「目次」を見ると「全国怪奇名所案内」がそれらしく思われます。『現代民話考』程度の分量で、全国の心霊スポットとともに列挙されていたのでしょう。「目次」からは当ブログで取り上げた話や、取り上げるつもりで準備していた話が出ていることが察せられますので、手に入れても良いのですが、目下そちらにかまける余裕もないので、しばらく保留にして置きます。
 可能性としては、まづ、
松谷 → 平野? → 本書
 と云う筋が考えられます。「平野?」のところには他の本、『信州の民話伝説集成 北信編』が入る可能性もあります。もちろん、
原話 ┬→ 松谷
     └→ 平野? → 本書
 と云う筋も引けるでしょう。『現代民話考』は非常に簡略ですが、それは原話を何に拠って知ったかを忘れ、さらに原話にあった細部を忘れてしまったためにこうなったので、本書の出典にはもう少し詳しい、原話由来の描写があったのかも知れません。
 しかしながら、あらゆる可能性を考慮に入れて書いていてはくどくなるばかりので、①と仮定し「平野?」に当たるところでの加筆は殆どなされていなかった、と云う前提で進めたいと思います。
【A】場所の説明
 松谷氏は「長野県白根山」としています。しかしながら、厳密に云うと長野県には「白根山」と云う山はありません。県境近くに、山梨県白根山(白根三山。北岳間ノ岳農鳥岳)と群馬県草津白根山があるばかりです。この辺り、新潟県蓮華温泉が長野県のように云われていることに近いように思われます。
 そのどちらかと云えば、草津白根山の方でしょう。山頂付近に池がたくさんありますし、松谷氏は昭和20年(1945)春から「長野県下高井郡平野村(現・中野市)」に疎開して「一年余りを過ごし、その後二年近くを信州中野町(現・中野市)」で過ごしていました(講談社現代新書370『民話の世界』23頁7行め・33頁3行め)。中野は草津白根山から20kmほど北西で、そんなに離れていません。松谷氏は疎開中、この話を耳にし、記憶の片隅に止めていたけれども、誰から聞いたかは覚えていなかったのでしょう。いえ、白根山という場所も確かな記憶かどうか、分からないのだけれども。
【B】事件
 松谷氏は要点のみ述べていましたが、本書はここを膨らませています。
 前回も注意しましたが、まづ「太平洋戦争時」と時期を指定していること、そして「池の傍で炊事をする」との場面設定です。
 しかし、地図にも出ていないような池ですから、私にはどうしても「他の者たちの眼を盗むようにして、入水」出来るイメージが出来ないのです。もっと大きな池の異称の可能性もありますが、そんな池にはもう名前が付いていて、こんな事件くらいで名称変更するとは思えません。やはり無名の小さな池としか思えず、飯盒紛失に気付いて「他の者たちの眼を盗むようにして」部隊から離れた兵士が、ひっそり身を投げたイメージなのです。
【C】怪異
 しかし、それ以上に本書で気になるのは空腹の強調です。
 確かに「上官に報告」すれば、本書が想定しているように「罵られ、殴られ」、食事抜きと云うことになったことでしょう。その上で本書が自殺の理由として「自分だけもう白米は食べられないのかと悲観した」と説明しているのは、この1回限りのことではなく、この行軍中ずっと飯盒を紛失した罰として「食べられなく」なると云う想定なのでしょうか。そして、すすり泣きとともに聞こえると云う言葉も、松谷氏は「ハンゴーハンゴー」としているのを、本書では「はらへったー、はんごうねえー、はんごう、はんごうねえか――」と、本書の説明では「飯の時間を待たず、‥‥、池に入水し」たのですから、それほど空腹に苛まれたとは思えないのに、死後も飯盒がないせいで空腹に苛まれているような按配に変えているのです。
 このような解釈も、不可能ではないでしょう。しかし、どうしても、理由が軽くなっているような印象を受けるのです。
【D】評言
 どうも、本書では飯盒如きをなくしたくらいで、兵士が自殺に追い込まれることを「とても考えられない」と考えているようです。
 しかし、別に「戦時中」でなくとも、日本軍ではこのような理由での自殺は十分あり得ることと思われていたようで、それは『現代民話考』のこの話が分類されている項目を見ても察せられるのです。(以下続稿)

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 昨日午前胃カメラの検査を受けて、その麻酔のせいか帰宅後も昼間寝ていたので、今日も案配が悪い。まぁ徐々に戻して行くしかない。
 しかし、今は学生が乗っていないから若干マシだが、これで学生が通学するようになったらどうなるのか。2月末の一斉休校を決断した時期とは様相が違うのである。本当に4月から学校を再開させるのだろうか。状況が改善しているとは思えない。しかし、学校再開の告知が、状況が改善しているような印象を与えて、聖火や桜やK1を見に行った連中が増えたようだ。これこそ風評被害と云うべきだろう。
 その聖火リレーは、中止になったそうだ(速報)。しかし、よくまぁ見に行こうと云う気になれるものだ。――オリンピックの準備はここで全て停止して、出来るだけ早く中止にしてもらいたい。
 いよいよ、以前まとめた資料集などを当ブログにて纏めて取り上げる時機になったように思う。