瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

同盟通信社調査部 編『國際宣傳戦』(3)

 昨日の続きで、新聞通信調査会HP「メディア展望総目次(年)」から、内海紀雄「一通信社記者の「昭和」~その軌跡を手紙と日記に見る」の(Ⅱ)以降を見て行きましょう。要領は昨日見た(Ⅰ)に同じ。
 これは、当ブログで行って来た赤マント流言についての記述を残した人物について、その人がどういう身分・立場で、当時どこに住んでいて、誰から噂を聞いたのか、確認する作業の一環です。関係なさそうな前後に及んでいるのは、必要なところだけ摘まみ食いするのが性分に合わないからです。
・第582号(平成22年7月1日発行・32頁)14~16頁「同盟、 「言論不安時代」に船出」(Ⅱ)
 14頁上段1行め、1節め「電聯合併が難航した理由」。下段14行め、2節め「「戦々兢々たる言論不安時代」の認識」、上段左に写真「飛行機に搭乗した逓信省記者クラブ員。左から5人目が内海朝次郎(昭和10年初春)」。中段11行め、3節め「設立認可直前に床次逓相が急逝逓信大臣床次竹二郎(1866.十二.一~1935.9.8)急逝。同じ頃(?)に喀血、結核が宿痾となる。下段左に写真「同盟設立を推進した進藤誠一氏あての手紙(昭和12年6月6日付)」。16頁上段1行め、4節め「同盟通信社の誕生を見て病気退社昭和10年11月、同盟通信社設立認可、昭和11年(1936)1月1日から業務開始、5月末、電通の通信(取材・編集)部門を引き継ぎ6月1日より国会代表格通信社となる。6月30日付で休職、妻とともに帰郷して地引き網漁場を経営する父・寅吉の許で静養の生活に入る。中段20行め、5節め「進藤氏の左遷人事に「切歯扼腕」」。
・第583号(平成22年8月1日発行・40頁)16~18頁「欧州で大戦勃発、古野氏が同盟社長に」(Ⅲ)
 16頁上段11行め、1節め「「新聞にはそれほど指導力はない」」、下段9行め、2節め「全快して同盟政治部に復職昭和13年(1938)11月1日付で同盟政治部員として復職、社内の「通信調査会」に出向。大森区馬込に住まいを定める。17頁上段5行め、3節め「「駅長驚くなかれ滄桑の変以上」」上段左に顔写真2つ「逓信省の同盟設立推進コンビ。進藤誠一氏(右)奥村喜和男氏(左)=父の著書『逓信特別会計ができるまで』所載」、下段左に写真「東京電燈社長の小林一三氏(後に近衛内閣の商工相)と懇談。右手前が内海朝次郎(昭和10年代初期)」。ここで注目すべき記述は、下段2~10行め、

 昭和十三年暮れ撮影の「山上、内海歓送迎会」/と書かれた写真が残る。外報局発信部長からモス/クワ特派員に決まった山上正義氏と復職した父を/囲んでいる。山上氏は魯迅の『阿Q正伝』の翻訳/者で、父とは大正期の社会運動仲間だ。社会部長/の岡村二一、政治部長福田一、外信部長の岩本/清、政治部同僚で「ドンちゃん」の愛称の塚村敏/夫、運動部長で『日刊スポーツ』を創刊した秋山/慶幸の各氏らが並ぶ(山上氏は赴任前に病死)。

とあって、内海朝次郎の新聞聯合以前の経歴に触れるところがある。山上正義(1896.7.10~1938.12.14)との歓送迎会の写真は、前回触れた「新聞通信調査会報」第471号7頁上段左に掲載されている。キャプション「モスクワ特派員山上正義氏(前列右から2人目)と、復職した内海朝次郎(同3人目)の歓送迎会。岡村二一、福田一、岩本清氏らの顔も(昭和 13 年暮れ)」キャプション4行めは右詰め。
 18頁上段12行め、4節め「出張先の大連に岩永社長の訃報昭和14年(1939)8月、中南支出張を命じられたが、9月2日大連で社長岩永裕吉(1883.9.13~1939.9.2)の訃報、3日に父の訃報を受けて帰郷、9日に後任の社長が新聞聯合の総支配人だった常務理事の古野伊之助(1891.11.13~1966.4.24)に決まる。下段2行め、5節め「古野氏による「社内刷新」に期待」10月、編集局の調査部長に抜擢、昭和15年(1940)7月には出版部長を兼務。(以下続稿)

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 学部生の頃、一般教養の文化人類学の授業を受講した。講師はフィリピン、ルソン島のボントック族を調査している男性で、名前も覚えていないし細かい内容は殆ど忘れてしまったが、面白かった印象は残っている。熱っぽくはないが誠実な授業ぶりであったが、最後の授業だったか、少し感情を高ぶらせていたことがあったのを、記憶している。それは、――かつてボントックは自給自足で、何不自由なく暮らしていた。ところが電気が引かれたことで、電気代を払うために現金収入が必要になって、現金が得られる仕事をしないといけなくなった。冷蔵庫など電化製品を購入するようになって、電気代はさらに嵩んで行く。電化製品の購入とその電気代の支払いのため、家族の誰かが出稼ぎしているという状態が常態化してしまった。文明化が、ボントックの人々の生活、村と家族を破壊している、と云うのである。
 今、我々の構築してきた文明が、コロナウィルスとともに我々の首を絞めに来ているようである。