瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

祖母の思ひ出(03)

 あんなに脅していた自粛させていたのに、経済が続かなくなるから緊急事態宣言は解除したのは仕方がないとしても、ここまで緩めさせてはいけなかったのではないか。しかし、世間はすっかり元通りである。電車も、外国人観光客と、部活で集団で移動する連中が乗っていないくらいで、以前と変わらなくなった。窓を開けて換気するよう推奨されているのに、半分も開けていない車輌の方が多い。恐ろしく呑気である。「これまで」大丈夫だったのだから「これまで」通りにしておれば大丈夫だろう、と云う正常性バイアスが掛かっているのだろう。
 1902年のアンティル諸島マルティニーク島のプレー山の噴火の際に、市長選直前だったこともあって市長がサン・ピエール市は安全だと宣伝し、市からの避難者を上回る流入者(周辺の村からの避難者)を受け入れて、結果、5月8日の熱雲で約3万人が数分のうちに死亡することになった。
 1991年の雲仙普賢岳の噴火の際も、「定点」と呼ばれたマスコミ各社が取材拠点としていた場所まで、いづれ火砕流が到達するであろうことは、予測が付いていた。しかしながら、6月3日に43名の犠牲を出す惨事となった。「大火砕流」などと呼ばれているが、実は大した規模ではない。
 いづれも「これまで」大丈夫だったから、「これまで」通りにしておればこれからも大丈夫だろう、と云う根拠なき安心感がもたらした悲劇である。
 もちろん、反対に、大規模噴火が起こると予測して噴火しなかったり、全島民を避難させてその後、大した噴火が起こらなかったり、と云ったケースもある。見極めが難しいことは確かである。
 しかし、コロナウィルスを制圧した訳でもないのに、この「日常が戻った」みたいな浮かれ方はどうしたことだろう。
 確かに、もう緊急事態宣言など出していられないのである。当時、自粛と補償をセットで求める tweet が多々投じられていたが、もう政府は自粛要請しないだろう。諸外国もそうだが、日本の場合特に、補償などしたくないから、罹った奴は何か悪いことをしたからだ、みたいな日本人に染み付いた、2011年9月12日付「美内すずえ『ガラスの仮面』(7)」の後半に述べた、因果応報的な自己責任論で済ませるつもりだろう。
 テレワークも解消に向かっている。感染拡大を防止するためテレワークを継続するよう要請しても良さそうなものなのに、一向に聞こえてこない。マスコミは再開を喜び、日常が戻りつつある、そんなことばかり言っている。たまに登場する感染拡大を懸念する識者との温度差が甚だしい。
 いや、そうやって、都内に出勤してもらわないと困るのだ。休業要請を解除して、営業を再開させたが、これまで通り客を入れられない。都内の飲食店は客の回転をよくすることで儲けを生んできたのに、客が入らなければ儲からない。だから、都内に勤め人を戻して、少しでも飲食店を使ってもらわないと、困るのである*1
 これまで、都内の繁華街にある飲食店であれば、狭くても、地下であっても、空気が澱んでいても、儲けを生んできた。しかし、客が戻らなくて廃業する店舗が増えたら、都内の不動産の価値は大幅に下がるだろう。商売にならないんだから、そんなところを借りようと云う人はいなくなる。しかし、家賃を急に下げられない、固定資産税も掛かる、いや、価値が下がったから家賃や税金を下げろ、となったら、バブル崩壊みたいなことになる。今、何とか株価を誤魔化して、コロナウィルス以前と同じくらいの価値を不当に維持させているが、不動産の価値が半減しようものなら支えられなくなる。
 そこで、倒れない程度に続けさせるために緊急事態宣言も休業要請も解除し、そしてやっぱり出社してハンコをつかないと仕事にならない、と云う頭の固い管理職がテレワークのことを快く思っていないのに乗っかって、出来る限り都内に出勤させようとしているのである。いや、出勤させるだけではいけないので、飲食店に入ってもらわないと駄目だから、とにかく解放ムードを煽って、もう大丈夫だと云う空気を醸成させているのであろう。
 私が懸念しているのは学校である。あんなに思い切りよく全国一斉休校にしたのに、9月入学が立ち消えになって以来、感染が再び拡大したらどうするつもりなのか、その議論も全く見えて来ない。かつて私の勤めていた都内の女子高は、今、分散登校にしていて来週から通常登校に戻すつもりらしい。しかし、今はまだ涼しいから良いが、これから暑くなったらどうするつもりなのか。しかも、上り電車は恐ろしく混んでいた。殆どの生徒が上りで通学しているはずである。窓が開いているかどうかは知らないが、考えるだに恐ろしい。私の世話になった年配の教師は定年退職しているはずだし、当時の講師は全員雇い止めでいなくなったから、そういう心配はしなくても良いが、本当に、夏休み明けまでせめて、電車通学の学校は休校延長、オンライン授業で代替可、と云う風に出来なかったものかと思う。
 初め、学校再開となったとき、徒歩通学の公立小中学校は仕方がないが、電車通学の私立小中学校は再開させないだろうと思っていた。そして、高校は公立・私立とも、通勤電車の混雑を緩和するためにも休校継続、登校させずに何とかする方向に動くだろうと。しかし、全くそういう話にはならず、そして勤め人たちもテレワークから出社に、この7月から、戻されようとしている。せめて、学校だけでもオンライン可能なところは登校させないことに出来ないものか。しかし解放ムードに水を差すことになるから、それこそ猖獗を極めない限り、学校もそのままだろう。これが収まらないまま、夏のうちに第2波みたいになることを覚悟すべきかも知れない。
 オリンピックも中止に決まらない。リニアなんて初めから無駄だと思っていたが、「コロナウィルスとともに」生きる時代に、あんなもの巨費を投じて作ってどうするのだ。しかし、とにかくこれまで通りにしたい、予定通りにしたい、そういう同調圧力が、異様に働いているように思うのである。

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 当ブログは昨年まで知友に全く知らせずにやっていて、知らせたのは2人だけ、2人とも会ったこともない。しかし当初から知っているのが1人だけいて、他ならぬ家人である。
 その家人によると、私を誘わなくなったのは、料理屋に行く訳でもなく、ほんの御機嫌伺いだから、と云うこともあったが、2週に1度、土曜と決まっているので祖母の方もそのつもりでいるのだけれども、念のため出発前に「これから伺います」と電話を入れる。すると「あなた1人?」と聞かれて、そうだと答えて行ってみると寝間着のままだったりしたそうだ。そうすると、起きて買物に出掛けて、と云うルーティンが、私の知っている10年ほどのうち、最後の何年かは崩れていたことになる。もともとが寝るのが好きな人で12時間は寝て、買物、風呂、食事、お酒、漢字パズル、そしてじっとしている間は本を読んでいる。TVは大相撲観戦するくらいだったらしい。当時、朝青龍が好きだった。具合が悪いと、とにかく寝て治してしまう。入院したことのないのが自慢だった。ただ80代で1度、入院するよう言われたことがあって、しょんぼりしてしまったが、いよいよ手続きをしようかと云う段階になって、やっぱり入院しなくても良い、と云うことになった途端、めきめきと元気になったそうだ。

 私も病院に送り迎えしたことがある。マンションのエレベーターの近くに段差があるのだが、上に貼付したようなプレートを置いてキャスターが引っ掛からないようにしてあって、祖母も支障なく越えていたのだが、ある日、この段差でバランスを崩して、背中から落ちたのである。
 骨にひびが入ったかも知れない、とて整形外科に連れて行き、レントゲン写真を撮ったのだが、何の異常もなかった。ただ、脊椎が1つか2つ潰れているが、それは昔からで特に支障はない、とのことだった。
 その後、足が腫れて靴が履けず、歩けない、との連絡があって、休日で行きつけの整形外科が閉まっていたので、家人が万一のときのために保管している市報で休日診療している病院を確かめて、夫婦で連れて行ったことがある。近距離だけれどもタクシーを呼んで、そしてまたタクシーを呼んで帰ったのだが、その帰りに(行きをどうしたか覚えていないのだが)何処でタクシーから降ろすかで困ったのである。祖母のマンションは駅の近くのやや広い通りに面しているのだが、その歩道がずっと植込が続いていて、切れ目がないのである。――そこで、とにかくマンションの入口の植込の脇に止めてもらって、私が背負って、植込を跨いで越えることにしたのである。祖母は小さい人なのだけれども、背骨が潰れている分、凝縮されたようにずしりと重くて、思わず仰け反りそうになったがそこは堪えて、歩道の段差と植込、そしてマンション入口の段差を越えて、後は歩いてもらった。
 そして、祖母を背負ったとき、私は、例の、笹川良一が老母を背負って神社の石段を上っている油絵*2を、思い出したのである。(以下続稿)

*1:6月30日追記】昨日の報道ステーションで、早稲田の学生街の飲食店の窮状を取材していた。大学はオンライン授業継続だから、休業要請が解除されても客足は全く戻っていない。――要するに、そういうことなのである。

*2:銅像も複数あるようだ。