瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(246)

 2月20日付(221)の続き。2月21日付(222)として準備していたが2月21日付(222)に書いたような理由で見送ってそのままになっていた。今、その確認すべきところの『四角い魔術師』の記述を補って、4ヶ月越しに投稿する。
井上雅彦「宵の外套」(2)
 初出『京都宵』には、前回注意したように460頁(頁付なし)に監修者コメントが入っていた。しかし監修者本人が作者だから、本人のようなそうでないような、微妙な書き方になっている。すなわち、中央やや下寄りに、

●『宵の外套』井上雅彦*1
 東京生まれの作者が、不思議な縁で繫がった、この古都を書いたものである。
 書いている間が、文字通り旅だと感じた三十六枚だった。
 虚実入り交じっているのは。確かだが、少なくとも、冒頭に掲げた「都市伝説」と、そ/の「入手経路」「入手状況」に関しては、創作ではなく、ここに書き記したとおりである/ことをお断りしておく。

とあった。
 再録『四角い魔術師』は、255~259頁「あとがき」に、257頁13行め「 本書は、ひたすら、思い入れの深い作品を集めたものとなりました。」とあって、自選作品集なのだが、配列について述べた中に、258頁14~16行め、

 一方、《第一部》には〈昭和もの〉も幾つか入れました。〈昭和もの〉は、今では私の創作/の重要な柱です。《第四部》にも〈昭和もの〉の短篇を入れましたが、「宵の外套」で紹介し/た京都の吸血鬼は、私が子供の頃に、母から聞いた想い出話です。

とある。最後、259頁14行めに「2012年10月31日 万聖節宵祭*2」とある。
 再々録『夜会』では、196~205頁「自作解題」に、まづ196頁2~6行めの前置きの最後、5~6行め「‥‥、これまで創/ってきた作品たちについて、備忘録的に、思うところを書いておくことをお許し戴きたい。」として、以下、1行空けて個別に短いコメントを述べている。本作については、201頁1~6行め、題は明朝体太字で、

●「宵の外套
 京都で育った母から、この「噂」を聞かされたというのは実話である。昭和七年に新京極で/上映されていた映画というのは『魔人ドラキュラ』のこと。ちなみに本作は、病床の母と過ご/した最後の夏に書きあげた。思い入れがあるため、加筆はしていないが、当時、母が父親と食/事をしたという南欧料理店のことを書き入れたい誘惑に駆られている。四条大橋西詰にあり、/現在は中華料理店なのだが、その城館めいた外観は、今でも、ドラキュラ城に見えてしまう。

とある。後半は引用しなくても良かったのだが、今後改稿される可能性もあるので、念のため抜いて置いた。四条大橋西詰の中華料理店は東華菜館本店で、「東華菜館」HP「東華菜館の歴史」に拠ると前身は西洋料理店「矢尾政」で戦時中に廃業して東華菜館創業者に譲渡、昭和20年(1945)末に北京料理の店として開業している。「城館めいた」建物は大正15年(1926)落成。
 『京都宵』の書き方でも、母から「噂」=「都市伝説」を聞かされたことは明らかだが、「最後の夏」がいつなのか、分からない。『京都宵』は平成20年(2008)9月20日発行なので、同年の夏の可能性もないではない。締切がいつだったか、しかしそこは監修者だから「京都宵」と云うテーマを設定して、知友の作家たちに告知して、集まってきた作品を見てから書いても良かった訳である。前年かも知れないし、もっと前かも知れない。(以下続稿)

*1:ルビ「いのうえまさひこ」。

*2:ルビ「 ハ ロ ウ ィ ー ン」。