瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

図書館派の生活(9)

 今日は職場でくしゃみが出て困った。左の鼻に何かがあって、むずむずする。そこで、明日の勤め帰りに耳鼻科の予約を入れた。いや、今年は花粉症の時期が終わっても、2週間に1度、耳鼻科に通っているので、別に今日のくしゃみのせいだけで入れたのではないのだけれども。――もともと鼻炎持ちなので花粉症の時期が終わったら、これまでは多少具合が悪くても病院になど通わなかったのだが、今年はそうも行かない。副鼻腔炎だか蓄膿症だか知らないが、もう2ヶ月になるから、以前から言われていたがCTを撮って、次の段階に進むことになりそうだ。
 月曜と今日は出勤前に早起きをして洗濯機を回した。例年よりも洗濯物が多くなっている。
 帰りの電車では別にくしゃみも出ない。与党系宗教団体の雑誌の中吊り広告に「アフター・コロナ」の特集があったのだが「アフター」とは誠に気が早いことである。
 先日、不在者投票を済ませた家人に言われて不在者投票に行く。普通に近所の小学校の投票所に行くつもりだったけれども、投票所は混みそうだから空いている不在者投票にするべきだと言われて、行ってみたら確かに空いていたが案内や立会人の人数が多くて少々腰が引けた。日曜は、分散登校ならぬ分散投票をするべきじゃないか。
 小学校の脇を通り掛かると、校庭で2クラス分くらいの低学年の児童がマスクもせずに密集して遊んでいた。
 今は分散登校もしていないようだ。中学生も普通に、マスクはしているが集団で、喋りながら登下校している。
 緊急事態宣言が5月中旬に地方で解除された際に、随分慎重に学校を再開したのをテレビのニュースで見て、これでは都内の学校は再開出来ないのではないか、と思ったのだが、全く気にしていないかのようである。
 しかし、今日の掌返しのような報道はどうだ。6月27日付「祖母の思ひ出(03)」から何日も経っていない。
 もちろん、私が自粛生活でも困らないから、と云うか元から自粛生活みたいな暮し振りだったから、こんなことを言っていられるのだ、と云うのも、その通りなのである。
 思えば、バブル期の大阪で毎晩タクシーで深夜に帰って来る父を、そんなに飲み食いしたいものなのか、と、眺めていた。
 もともと父は内陸の出身だけれども、いや内陸だったからなのか、魚が好きなのだけれども接待での飲み食いは肉が中心で、それで家では肉を食べたくないとのことで、魚中心、肉も鶏肉か豚肉ばかりで牛肉は(父が自費で部下を飲みに連れて行ったりするために節約する必要があったからであろうが)食べた記憶がない。それでも母が料理上手なので何の不満もなく、別に牛肉を食べたいとも思わなくなった。
 高校は徒歩通学で、昼は弁当だったから現金を持ち歩いて使うこともなく、小遣いも山岳部の山行費用に回していたから、高校時代、財布を持ち歩いていたかどうかさえ疑わしい。土曜は学食でカレーライスを食べていたが、生徒手帳に小銭を挟んでいたように思う。
 それで、どうも、酒を飲もうと云う気になれなかった。父が毎夜酔っ払って帰って来るのだが、もともと強い人ではないので、大変だなぁと云う感想しか持ち得なかった。浪人時代は予備校の構内や都内なら駅や路傍に多々ある立食い蕎麦で済ませて、もっと美味いものを食べたいとも思わなかった。
 だから、大学では専ら学食で、学外で食べるときは立食い蕎麦で、サークルでも酒を飲まない私は誘われなかったから、夜は家で食べていた。
 院生時代でも変わらなかった。修士課程の頃に大学院の移転があって、それまで本棚に余裕があったので預かっていたOBの千冊を超える*1文庫本を処分することになって、大手出版社の校閲部に勤めているOBに土曜だかに来てもらって、たまたま居合わせた私や、そのOBを知っている、修士課程で一度止めて、しばらく社会人として過ごしてから博士課程に進んだと云う、かなり年上の先輩などが片付けを手伝ったのだが、昼、私らの労をねぎらって有名なカレー屋で奢ってくれたのである。
 結構な値段のカレーをおずおずと頼むと、先輩が「君たちはこの店に来たことがないのか」と言うので、初めてだと答えると、先輩たちは近所の他の有名店の名前を挙げて行ったことがあるかと問う。どこにも行ったことがない、と答えると「じゃあいつもどこで食べているんだ」と聞くので、なんでそんなことを聞くのかと思いながら堂々と「学食です」と答えると、眼を丸くして「あんな不味いところで喰ってるのか」と、少々馬鹿にするように言うのである。大きなお世話だと思い、やはりバブル期以前の大学院生は違うわい、と思ったことであった。
 当時、ちょっと付き合いのあった地方の大学の助教授も、私の大学の近所の、私の知らない、知っていても入ったことのない店を知っていて、向こうは当然私も知っているつもりで、話を合わせようとしてそれらの店名を持ち出すのだが、こちらは全く応じられない。いや、何軒かは1度か2度、入ったことがあるのだけれども、しかし、その人の出身大学から近くもない場所の店をこれだけ知っているとは、当時どれだけ美味しい思いをして来たのだろう、と感心しつつも、特に羨ましいとも思わなかったのであった。
 何故なら、文学研究では金持ちになれないと思っていたからで、研究者の身分がなくても研究を続けるためには、まづ無駄な出費を抑えないといけないと思っていたからであった。しかし、それなのに先輩たちの余計な配慮で、以前も書いたが独立行政法人の大学院に転学してしまったことで、私は研究職はもちろん学界での活動を完全に断念することになった。すなわち予算制度にどっぷり浸っている官僚や教授たちは、学生が欲していない予算を取って来て、無理矢理消化させるための無駄な業務に駆り出すのである。そして、とにかく使い切れ(無駄遣いしろ)とプレッシャーを掛けて来る。ない智恵を絞って漸く有効な使い道を思い付いても「それではあかんのや」と言われる。じゃあもともと必要としてないのだから返納して下さい、と言っても「使い切れ」と言われる。しかし、結局使い切らなかった。しかし、小役人と予算制度にどっぷり浸った教授たちは折角取った予算を減らさないために誤魔化したはずである。今から予算の不正使用で告発したいくらいだ。とにかく、それまで学部生時代以来、図書館派で本も殆ど買わずに続けて来た私には、とても堪えられる環境ではなかったのである。(以下続稿)

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 過去の記事と重複する内容がありそうだが、確認している余裕がないのでしばらくそのままにして置く。

*1:投稿当初「数千冊の」としていたが、流石に多過ぎると思って改めた。