瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

白馬岳の雪女(16)

 今回は言い訳と余談に終始するので、当ブログを毎回確認している読者は殆どいないのですが(笑)、何処かで読んだような繰り言ばかりであることを、念のため初めにお断りして置きます。(8月9~10日)

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 さて、この主題では、7月31日付(04)に述べたように、一昨年の秋以来情報蒐集を続けているのだが、8月1日付(05)に述べたように、遠田勝が『〈転生〉する物語――小泉八雲「怪談」の世界刊行後に発表した「辺見じゅん「十六人谷」伝説と「雪女」―「人に息を吹きかけ殺す」モチーフと民話の語りにおける伝統の創出」を見ることが出来ていないために保留にしていた。これを見ていない理由は、一昨年の秋・冬は体調不良で中々都内に出ようと云う気力が出なかったためで、その原因は昨年9月に鼻中隔彎曲症の手術を受けて解消されたはずなのだけれども、政府のGoTo 続行の愚策のせいで年末年初のコロナ蔓延、その後再開されてもいつどうなるか分からず、しかも罹患して後遺症等がどうなるかも分からぬ中、国会図書館等に出掛けようなどと云う気持ちにならず、そのままになっていた。いや、確かにこれまで、感染者は「さざ波」程度に少なかったのだろう。いや、いないのならそもそもマスクなどしなくても構わないのである。しかし、むしろ減ったときこそ検査と隔離を充実させる好機だのに、一向にそれをしない*1。そして少なくても感染者と間近にしばらくいたら、マスクをしていようが感染リスクがある。運不運なのである。不運に当たる確率が皆無でない以上、私は危険な賭には出ない。仮にそういう仕事があっても回避したいと思うくらいだのに、仕事でも何でもない、道楽(?)なのである。なるべく無事に生き延びたいと思うから、しばらく身を慎むしかない*2
 そして今度はオリンピック強行で再度、検査も入院も追い付かないほどの蔓延を招いている。昼間は物音に紛れて聞こえないが、暗くなってから耳を澄ますと、何処からか救急車のサイレンが聞こえる。風呂に入る前にも聞こえる。出て、皿を洗って、歯を磨いている間にもずっと聞こえる。年末年初、或いは大阪の第4波以上であるにも関わらず、出勤もそのまま、商店もそのまま、これまでは閉館もしくは返却期限延長になっていた図書館も座席が若干使えないくらいで通常開館である*3。CDC の内部資料がリークされて、当初不明とされていたワクチンの感染抑制効果が望めないことが明らかになっている*4。ノーマスクの生活には戻れない*5。ワクチンパスポートなど絵に描いた餅だった。それが解った今こそ、改めて徹底した措置が必要だろうに*6、オリンピックをやりたいがために色々緩めて、それ以上に堪え性のない国民の気持ちを緩めて、今、朝の連続テレビ小説が殆ど構成を破綻させてまでパラリンピック代表選手を取り上げているが、パラリンピックもこのまま強行するつもりだろうか。――もう、私はスポーツに関心が持てなくなった。マスコミはオリンピック強行の片棒を担いだ責任を誤魔化すためにも、今後とも手放しでオリンピックの価値を謳い上げ続けるだろう。感染拡大に寄与しながらもそれとこれは別だと強弁し続けるだろう。大概にして欲しい。そして、今回の強行に乗ってメダルを獲得した連中が、周囲のそのような思惑の中、何の痛痒も感じないまま持ち上げられ続け、やがて斯界の権力者みたいになって行くのだろう。だとしたら私はそれらのスポーツをもう見たくない。いや、もう見なくたって良いのである。
 2020年3月26日付「飯盒池(6)」の付け足りに述べたことが、現実化してしまった。読み返して見て、もうスポーツ関係者には毫も敬意を払えないと思った。別に私も運動が嫌いだと云うのではない。高校時代、一応運動部だったし、何も考えずにひたすら歩き続けるのが気持ち良い、と云った程度だが、筋肉で快感を得るような感性も持ち合わせている。しかし、大体、運動などと云うものは愉しくやれば良いのである。自分の何かを犠牲にするならともかく、どうして他人の健康と安全を押しのけてまでやりたがるのか、あの連中の何処にそんな権利があるのか。いや、あの連中を利用しようと云う勢力が汚らわし過ぎるのだ。しかし、彼らは分かちがたく結び付いている。今は純粋に見える連中も、やがて山下や橋本や太田みたいになる。そしてスポーツを利用したがっている政治*7営利企業と結び付く。彼らがこの状況下に自制出来たら、若干見直しただろう。しかし、本性を丸出しにしてくれた。これでも「オリンピックをやって良かった」などとお気楽な感想を述べている国民が少なくないことに驚かされる。まぁ、教育と宣伝の力だろう。そもそも、そんな大層なものではないのに。
 冬季オリンピックはやるのだろうか。日本人にとっては全く残念なことながら、日本政府よりは科学に基づいているらしい Chinese Communist Party 政府は、中止を決断して暴虐な IOC を干上がらせてくれないだろうか。状況が読めない中、強行するような狂気を再現させてはならない。まぁボイコットの話も出ているし、放映権を握っているのは、あの NBC なんだし、やめたって別に構わないだろう。日本が国民を溺れさせてまでして(7月13日付「芥川龍之介「尾生の信」(10)」参照)儲けさせてやったから、北京中止だけでは潰れないかも知れないが。
 近所のスーパーでも従業員に感染者が出た。家人の友人の娘が感染した。伊勢丹新宿店の地下食品売場は連日感染確認を出しながらクラスターではないことにして外部社員に営業を続けさせているらしい。尤も、この手の内部告発tweet は昨年来度々あったが、話題になるや嘘だみたいな話になって、アカウントが削除されたりしたから、本当かどうかは分からない。しかしそれやこれや勘案するに、2021年の夏に間違いなく、日本は76年後の敗戦を迎えるのである。しかし、前回、天皇制が揺るがなかったように、今回も愚鈍な日本人は何ら今の体制を根本から改めることがなさそうである。
 余談が長くなった。とにかく、図書館は開館しているのだけれども、罹患しても入院も出来ない。検査してもらえるかどうかも分からない状況で、もちろん、もう少し前ならこれほどの猖獗ではなかったのだが、私は完全に終熄するまでは最悪の事態を基準に自らの行動を律するつもりだから、当然出掛けないのが正解と云うことになる。うっかり罹ったときに、不注意で飲み歩いたりした連中と同じ扱いをされてはたまらない。いや、それでもうっかり罹るかも知れないのに、自助共助公助の公助は現政権ではいよいよ当てにならず、共助を受けさせてもらえるような身分になく、自分で気を付けるしかないのだから。
 それはともかく、「白馬岳の雪女」と題しながら、「辺見じゅん「十六人谷」伝説と「雪女」―「人に息を吹きかけ殺す」モチーフと民話の語りにおける伝統の創出」の内容をネット上で拾える僅かな資料から推測するために、「十六人谷」についての検証が先になってしまった。――「十六人谷」についてはまだ青木純二『山の傳説 日本アルプスの記述を取り上げていないし、他にも色々と材料があって、もうしばらく続けたい気持ちもあるのだが、そうするとまた殆ど何もしないままに遠田氏の本を返却することになってしまう。準備不足でももうそろそろ、資料蒐集に限界があることを断った上で手を着けるべきであろう。

*1:そして、増えてどうしようもなくなってから、御用学者に「5類にしろ」と、これまでも度々全く準備が出来ていないことを批判されて立ち消えになってきた棄民政策を主張させるのである。

*2:女子高の勤めが続いていたらそれでも都内に出ただろうが、不幸にして馘首になり、下り電車での通勤になったのは幸いだったと思っている。講師室の同僚たちも全員雇い止めに遭い、専任と余り仲が良くなかった私にはもう女子高の様子は全く分からないが、全く無事に済んでいるとは到底思えない。

*3:今日(投稿当日)立ち寄った図書館では、軽食コーナーを普通に営業していた。完全に緩み切っている。都知事の警戒を呼び掛ける言葉と、全く乖離している。いくら都知事の言葉が毎度毎度、空虚だとしても。

*4:そう云えば都知事が選挙公約で言っていた「日本版 CDC」ってどうなったんだ。あいつ、本当に何もやらないな。しかし現内閣よりも支持率が高い、ってどうなっているんだ。

*5:しかし、ワクチン接種の進んだニューヨークでマスク着用義務が撤廃され普通の生活を取り戻せている、と云うニュース映像の刷り込みがあるのか、マスクなしの老人が目に付くようになった。尤もこれを見た投稿当日は雨が降るまでは日差しはないものの暑かったから、昨年学校再開が問題になったときに、文科大臣が「暑ければ(熱中症防止のため)マスクを外しても良い」と言ったことが、やはり刷り込みになっているのであろう。感染者数も、感染力も、病院の逼迫の度合いも当時と全く違うのに、妙な基準が先入主としてどっかと居座って、我々を縛り、亡霊のように我々を苛むのである。

*6:しかしどうも、ワクチンさえ打てば普通の生活に戻って良いとする「ワクチンパスポート」の発想を元厚生労働大臣官房長官は堅持しているようだ。本当に新しい情報に更新、対応するのが遅い。役人が決められた予算の消化ばかり考えているのは仕方ないとしても、そこは「決断出来る政治」が何とかすべきなのだが、当然「中止」すべきで「簡単に」出来ると云うその決断も出来ないくらい政治家が魯鈍だから、何とも致し方ない。

*7:5月、6月頃のニュースで、関係者から「中止にしたらもう日本でオリンピックを開けなくなる」と云う声が上がっている、と何度か流れていた。それに対して「別にやらなくて良いです」と突っ込みが入っていたが、役人にとっては死活問題――とは言い過ぎだが、それくらいオリンピックは美味しい、手放したくない案件なのである。厳しい条件が付かずに、巨額の予算が通る。役人は予算の獲得が手柄になるから、どうしてもやめたくなかったのである。感染が終熄しない、先が見通せない、いやむしろ拡大していることを理由に中止すべき、と云う当然の判断すら出来ない。政治家がするべきなのだが、別の地平に立っているのでいよいよ出来ない。そして都民1人当り10万円の借金とか云う損害を負わせても、役人たちは痛痒も感じない。いや、今後深刻なダメージになるはずなのだが、彼個人にはさほど響かない。むしろ、手柄になっているのである。――オリンピックの5つの輪が五大陸を表しているのなら、アフリカの裕福な国でも出来る程度の経済的負担にすべきだろう。バッハやコーツの輩に金をじゃぶじゃぶ使う謂われは、全くない。