2019年6月16日に作成して置いたのだが、投稿しないままになっていた。昨日触れた「コトリ」について突っ込んだ記述があるので、少々整わない草稿だけれども、ここに上げて置くこととする。
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・平凡社新書165『謎とき 名作童謡の誕生』2002年12月18日 初版第1刷・定価740円・226頁
- 作者:上田 信道
- 発売日: 2002/12/01
- メディア: 新書
142頁6行め~145頁6行め、その2節めが「タ焼け空の赤マント」である。節の題は漢字はゴシック体、仮名は明朝体太字で、字下げなしの2行取り。
それでは、赤マントに関連する記述を抜いて置こう。改行位置は本文に「/」が使用されているので「|」で示した。142頁7行め~144頁1行め、
この唄については、子ども時代にもうひとつかんちがいしていたことがあります。
それは二番の「コトリが夢を 見る頃は/空にはきらきら 金の星」というフレーズで/した。
関西で子ども時代をすごした人なら、「いつまで遊んでんのや、コトリが来よるでェ!」/と、一度はいわれた記憶があるでしょう。これは「夕方遅くまで遊んでいると誘拐される/ぞッ!」という意味です。
「コトリ」は「子捕り」と書きます。関西の子どもたちにとっては、ちょっと怖いけれど、/どことなく親しみのもてる怪人なのです。
だから、子ども時代のわたしは「子捕りは夕方に出没する。だから星が出る頃には子捕【142】りも家へ帰って寝るのだろう」と、このフレーズの意味を解釈していました。こういう解/釈も、子どもがよくやる迷解釈のひとつです。
関東方面の人たちは、「子捕り」を関西の地方語だと思っていることが多いようです。/しかし、『国語大辞典』(小学館)にも「子どもを誘拐すること。またはその人」という語/義で載っている、れっきとした日本語です。
そうはいっても、関東で夕方に出現する怪人は、やはり「赤マント」でしょう。
最近、この怪人は学校のトイレに出没するようになりましたが、昭和初期にはよく街か/どに出没したものです。夕焼け空を背景に、赤いシルクハットに赤マントといういでたち/で電柱のかげに隠れ、遅くまで遊んでいる子どもを誘拐します。ときには、子どもを殺す/ことがあって、戦前の東京では、あちこちに転がっている死体を軍隊や警察が片づけた、/というウワサが広まりました。
「逢魔が時*1」という言葉があるように、古くから魔物は夕やみの中に出没するものだと信/じられていました。
東には赤マント、西には子捕りががんばっていたら、子どもはおちおち外で遊んでなん/かいられません。
むかしは街灯などもなく暗かったし、都会でも空き地が多かったので思わぬ事故も起き【143】かねません。東西の怪人たちが子どものしつけに果たしてきた功績は大きいと思います。
いろいろ問題のある記述である。
まづ、巻頭は赤マント、関西は子捕り、と分けているのだが、既に見たように赤マント流言は昭和14年2月の東京での流行に続いて、6~7月には大阪でも流行しており、田辺聖子や黒田清が、時期は少々曖昧ではあるが小説やエッセイに述べていた。他にも何人かの回想を拾っている。そして新聞にて、この大阪での流行は結末までが報道されていたのである。
子捕りは東京の吉行淳之介も回想している。
赤いシルクハットに赤マントというイメージも、今はそれなりに広まっているが当初共有されていたかどうか。
学校のトイレは、当初、東京では殆ど見られなかったらしいのだけれども、むしろ大阪では初期から主流であったようだ。
時期を「昭和初期にはよく」とか「戦前の東京では」等、幅広く取り過ぎである。
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昨年6月に書いた草稿は以上である。コメント部分に少し手を入れた。思い付きを列挙しただけなので過去の記事とはリンクさせなかった。
著者の上田信道は児童文学・児童文化研究家、経歴は「上田信道の児童文学ホームページ」の「わたしのプロフィール」に詳しいが、ここでは Amazon 詳細ページの、本書刊行当時の紹介文を抜いて置こう。
1953年大阪市生まれ。大阪教育大学大学院修了。大阪府立高校教諭、大阪国際児童文学館主任専門員を経て、現在神戸親和女子大学非常勤講師、日本児童文学学会理事などを務める。明治・大正期の芸術的児童文学や軍事・冒険・探偵小説など幅広く日本児童文学史を研究、現代児童文学評論も手がけている
上田氏のHPには、2012年4月26日付「新小説「怪談百物語」(03)」に、掲載されている論文に言及したことがある。
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この記事のように、書き掛けてそのままになって、投稿したつもりになって検索したらヒットしない、と云うケースがたまにある。それらもぼちぼちこなして行くこととしよう。(以下続稿)
*1:ルビ「おう ま・とき」。