瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(253)

井上雅彦「宵の外套」(8)
 一昨日の続きで①初出『京都宵』②再録『四角い魔術師』③再々録『夜会』の異同を確認しつつ内容を見て置こう。要領は8月8日付(250)に同じ。
 「黒い外套の男」の候補として、「私」は2人の人物(?)を上げている。1人は冥界と京を往き来した「小野篁」、そしてもう1人については、次に引く「友人」との会話で語られている。これは前回引いた【C】の会話の続きらしくもあるが、別の日らしくもある。――次回引くこの会話の続き【E】の冒頭の、友人の台詞からして、別の日と考えるのが良さそうだ。

【D】昭和七年の「彼」(①472頁7行め~473頁9行め②246頁下16行め~247頁上22行め③135頁下1行め~136頁上15行め)

「その黒いマントさん、ほんまにそないな昔*1から、\こ|の街に?」
 友人は、面白そうに微笑む。
 彼女の前では、さすがに、小野篁の幻想のこと\など、|一言たりとも、口にしていない。
「少なくとも、昭和十二年から十五年ぐらいの間\なら|【246】――〈彼〉の話が、京都で噂になったと/して\も、少し|も、おかしくはないのさ……」
「うち、どうにも、わからんよって……」
「シンプルな理由だったんだ」
 私は言った。「なぜならば――昭和七年には、\あの|ユニバーサル映画が、新京極の名画座に/かか\っている|のだから……」
 そう。日本人が見たのは、この年がはじめてだ\ろう。【472】
 世界一有名な吸血鬼の名を冠した世界最初\の映画。そ|れが本国アメリカで上演されたのが、/\【135】昭和六年。京都|に上陸したのは、それから一年し\かたっていない。*2
 それが、約十年の歳月をもって、都市伝説に成\熟し|た。
 ――陽が落ちて、暗くなった路に、黒くて長い\外套|を着た、背の高い男が現れる。
 その男は、音もなく近寄ってきて、ひとの血を\吸う。
 その話は、戦火を前にした不安な時代、京都の\大人|を、中学生、小学生を怖れさせ、それを/聞い\た女子の|ひとりは、母親になった頃、幼い息子に\その話を伝え|た。彼が、その映画を、ま/だ観ぬう\ちに……。
 そして、その「お伽噺」は、彼に、ある影響を\与え|た――。


 小野篁(802~852)については、突拍子もない「幻想」だから「私」は「友人」に「一言たりとも、口にしていない」。
 本文には映画の題を明記していない。しかし、誤解する向きがあったものか、6月28日付(246)に引いた③の「自作解題」では『魔人ドラキュラ』と断っている。

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 DVDの1つめのみ4月16日付(236)に貼付した。
 さて、井上氏は昭和7年(1932)日本上映のように書いているが、Wikipedia「魔人ドラキュラ」項に拠ると昭和6年(1931)2月12日にニューヨークで初公開、日本での公開は同年10月8日だと云う。京都での上映が昭和7年(1932)で間違いないとすれば、東京で10月から公開して、年明けに京都で封切られた、と云うことなのであろうか。(以下続稿)

*1:ルビ「まえ」。

*2:②③はこの段落を前の段落と1つにする。