・中村希明『怪談の心理学』(18)
昨日は途中から脇に逸れてしまいました。しかし、中村氏及び217~218頁「あとがき」の最後の段落(218頁9~11行め)に見える「資料集めに御協力いただいた講談社資料センターの板谷洋一氏」が資料探索にもう少し手間を掛けてくれていたら、赤マント流言に関するその後の流れも変わっただろうと思うと悔やまれてならないのです*1。
しかし、今更それを求めても詮無いことですから、過疎ブログですが発信だけは続けて見ましょう。しかし、宣伝用に Twitter を始めたのですが、あまり宣伝になっていない上に、赤マントは最近ホラーゲームにもなったようで、いよいよ私の長文レポートなど相手にされずに埋もれてしまいそうですけれども。
それはともかく、昨日の続きで「報道管制とデマゴーグ」の節の後半、36頁6行めから眺めて置きましょう。まづ9行めまで。
「大本営発表」がでたらめだという国民の噂に頭を痛めた軍部と警視庁とは、なんと「赤/マントの怪人」をデマの伝達スピードの実験にかつぎ出すのである。
早稲田大学心理学の故相場均教授の『うその心理学』(講談社現代新書)には、次のような/エピソードが載っている。
そして、10行め~37頁8行め、前後1行空け・2字下げで『うその心理学』から「デマの伝達スピードの実験」の一節を引用しています。
- 作者:相場 均
- メディア: 新書
- 作者:相場 均
- メディア: 新書
それはともかく、軍と警視庁が「デマの伝わる速さとプロセスを研究しようとして、行なった」という「実験」の内容も、昭和18年(1943)5月に、札幌駅の待合室で、実は「刑事」である「ふたりの男」に「赤マントを着て、ホウバのげたをはいた米人があらわれて……」などと云う「ばかげたことをまじめに」「ひそひそと」「話し合」わせ、その「「赤マント」のデマが東京に着」くまでの時間を計った、と云うのですが、どうも、本当にこんなことをしたのかどうか、他に傍証も得られませんので、ちょっと信じ難いのです。結果は「当時、札幌・東京間」の所要時間と同じ「二十四時間」だったと云うのですが、待合室で訳ありげな「ふたりの男」が、わざとらしく変な話をしていたのを気にした人が「汽車に乗って東京に向か」い、東京でその話を誰かにしたと云うだけのことで、この実験結果にどれほどの意義が認められるのか、甚だ疑問です。ポピドンヨード液でうがいをすればウィルスが減るとか云う実験と同じくらい当り前過ぎて意味が分かりません。札幌市内にデマを広めて、それがいつ東京に出現するかを見張っていたと云うのであれば、まだ分かるのですけれども。――いえ、「二十四時間後」に「東京」に届いたことはどうやって確かめたのでしょう*2。どうも、この「実験」の話は、そのまま鵜呑みに出来ないように思えるのです。
そんな訳で、引用は『うその心理学』を借りる機会があれば果たすことにしますが、ちょっと扱いづらい例なのです。
中村氏は引用に続けて、37頁9~12行め、
このころには、小学校のトイレに出現する「赤マントの怪人」はすっかり有名になって/いて、当局はどうやらアメリカのスパイであることをつきとめていたらしい。
この「赤マントの怪人」は終戦後もそのまま日本に棲みついて、「赤いチャンチャンコ」/の怪談のルーツになるのである。
と述べています。
私は最初にこれを読んだとき、冗談めかしてこんな風に書いたのだろうと思いました。ちょっとしたギャグなのだろうと。‥‥しかし、中村氏の、自分の知り得た(こう云っては何ですが、決して多くはない)例を、全て、他の地域にまで、長い期間にわたって影響を及ぼしたかのように評価してしまう姿勢――9月1日付(262)に見た、赤マント流言とは関係なさそうな『現代民話考』の松ヶ枝小学校の「マントの男」の噂を「原話」扱いしたり、大久保小学校の例を9月3日付(264)に見たように恣意的に取り扱って小平事件に絡めたりしているのを見て行くと、どうも、大真面目にこのように主張しているのではないか、と思われて来るのです。(以下続稿)