・昭和56年頃に聞いた怪談ノート(22)附録
30~31頁。
30頁は1行めに2字下げで「附 録」とあり、1行空けて3行めから本文。31頁9行めまで、全文を抜いて置く。
ここには先生のしていた話、郷土の伝説、うたなどを/収めた。
学校ではやったうたに、
みっちゃんみちみち
うんこして
かァみがないから
手でふいて
もったいないから
たべちゃった
というのがあって■■路子という子がそういっていじ/められていた。もう一つ、かぞえうたに、
いちにいさんまのしっぽ
ごりらの娘
菜ッぱ葉ッパ
腐った豆腐
というのがあって、これは浜中一年のときに、似たも/のをきいた。
郷土の伝説には「左巻地蔵」があった。五年のとき、私/の入っていた郷土研究クラブの寺田という女の先生が/卒業生の母親からきいたもので、全校のに放送され/た。
「浜中一年のとき」とあることからしても、このノートの作成時期は中学2年以降のはずである。そして9月15日付(07)の「五年前」と合わせて、やはり9月12日付(04)に述べたように、中学2年生のときのものであろうと思うのである。
校訂案。
ここには先生のしていた話、郷土の伝説、歌などを収めた。
学校で流行った歌に、
みっちゃんみちみち
うんこして
かァみがないから
手で拭いて
勿体ないから
食べちゃった
というのがあって■■路子という子がそういって苛められていた。もう一つ、数え歌に、
いちにいさんまのしっぽ
ごりらの娘
菜ッぱ葉ッパ
腐った豆腐
というのがあって、これは浜中一年のときに、似たものをきいた。
郷土の伝説には「左巻地蔵」があった。五年のとき、私の入っていた郷土研究クラブの寺■という女の先生が卒業生の母親から聞いたもので、全校に放送された。
多分、続けてこの伝説について書くべきところなのだが、以下余白になっている。
この地蔵については、3月17日付「左巻地蔵(1)」に書いて置いた。
4年生が漫画クラブで、5年が郷土研究クラブ、何故郷土研究クラブに入ろうと思ったのか、もうその記憶はない。寺■先生は40くらいのおばさんだった。このクラブも普段何をしていたのか覚えていないが、夏に、3人くらいで明石市大久保町の神社仏閣の由来を調べたことがある。丘陵地の新興住宅地にある学区内には何もないので、地図で卍を探して(神社は殆ど無人だが寺には住職とその家族がいるので)田圃の中をてくてく歩いて、幾つかの寺を訪ねて、住職や隠居から話を聞いた。田舎の寺の住職は学校の先生をしていたものだが、そのことをこのとき初めて知った。――ある寺を訪ねたとき、お爺さんが出て来て、住職は中学校の先生をしていて不在であるとて、自ら冷たい麦茶を供して、私達の相手をしてくれたのである。そして、このときの自ら歩いて調べる感動が9月12日付(04)に述べた、中学1年生のときの地元のガイドブック作成に直接繋がっているのである。
■田先生は、こんな話もしていた。
明石には「ダボ」と云う罵倒語がある。アホ<バカ<ダボの順で、最上級の罵倒語なのである。「ダァボォ~」と憎しみを込めて使ったものである。
その語源説なのだが、
明石の殿様の家老に織田という家があって、その織田のボンボン(後嗣)が物凄いアホだった。そこで物凄いアホを「織田のボンボン」略して「ダボ」と云うようになった。
と云うのである。私はすっかり信じ込んでしまって、ダボと云うのは明石特有の方言なのだと思い込んでいた。その後、修士の院生の頃に、2011年2月21日付「図書館蔵書のカバー」に取り上げた松本修『全国アホ・バカ分布考 はるかなる言葉の旅路』を読んで、これがただの語源俗解であることを知ったのである。(以下続稿)
【2021年1月11日追記】原本の当記事に関連する写真を貼付した。